平安時代の年表。平安時代とは西暦794年から1185年までの391年間にかけて平安京において主に政治が行われていた時代を指す。この時代以降、都は変わらないが政治の中心地は時代ごとに変化していく。
| 西暦 | 主な出来事 |
|---|---|
| 794年 | 長岡京から平安京へ遷都 |
| 795年 | 佐伯真魚が修行を重ね、名を空海と改める |
| 796年 | 隆平永宝(皇朝十二銭の四)が鋳造 |
| 797年 | 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される 勘解由使が設置(地方行政を監査するため、806年に廃止) |
| 799年 | 新羅に遣使が派遣される(これ以降は派遣されず) |
| 800年 | 富士山噴火 |
| 801年 | 坂上田村麻呂が節刀を賜る |
| 802年 | 坂上田村麻呂が胆沢城(いさわじょう)を築城する |
| 803年 | 田村麻呂が志波城を築城する |
| 804年 | 空海と最澄が遣唐使船で出航する |
| 805年 | 最澄が帰国し、翌年、天台宗を開く 坂上田村麻呂が清水寺を建立 |
| 806年 | 桓武天皇崩御、平城天皇即位 空海が帰国し、真言宗を開く 観察使が設置(道単位で地方行政を監察するため勘解由使に代わり、824年に廃止) |
| 807年 | 伊予親王の変、藤原吉子・伊予親王母子が処罰され2人は自殺したが、後に無罪が認められた |
| 808年 | 空海が観心寺を訪れ、北斗七星を勧請したとされる(7つの星塚が現在も境内に残る) |
| 809年 | 嵯峨天皇が即位、平城上皇は平城京へ移る |
| 810年 | 薬子の変が起こる(譲位した平城上皇が平城京から再び政治を執ろうとしてと嵯峨天皇が対立、嵯峨天皇が兵を動かしこれを押えた、平城上皇の愛妾の尚侍・藤原薬子と兄・藤原仲成らが処罰された) |
| 812年 | 空海が高雄山寺に住し灌頂(密教の重要な儀式)を行う。(灌頂を受けた者の氏名を書き付けた空海自筆の名簿(灌頂歴名)が現存し国宝に指定されている) |
| 813年 | 南円堂(興福寺)が建立される(藤原冬嗣が父・内麻呂の追善のために建立) 太宰府管内の兵士が削減される |
| 814年 | 嵯峨天皇が皇子・女に源氏姓を与える(源信・源常・源弘・源定・源融)、源信は初代源氏長者とされる |
| 815年 | 嵯峨天皇が橘嘉智子を立后する(橘嘉智子は世に類なき麗人(美人)であったといわれる) |
| 816年 | 検非違使が設置 空海に高野山が下賜される(修禅の道場として空海が高野山の下賜を請い、半月後に旨勅許を賜る) |
| 819年 | 空海が高野山に金剛峯寺を建立する |
| 820年 | 遠江・駿河の新羅人700人が反乱を起こす、人民を殺害して奥舎を焼き、伊豆国の穀物を盗み、船に乗って海上に出たが、相模・武蔵等七国の援兵が動員され鎮圧された 藤原冬嗣ら、弘仁格式(こうにんきゃく)を編纂する |
| 823年 | 嵯峨天皇が譲位し、淳和天皇が即位 |
| 824年 | 勘解由使が再設置 |
| 833年 | 淳和天皇が譲位し、仁明天皇が即位(桓武天皇の第三皇子)する |
| 838年 | 最後の遣唐使が派遣される |
| 842年 | 承和の変が起こり、藤原良房が橘逸勢(たちばなのはやなり)、伴健峯(とものこわみね)らを謀反の疑いで流罪とする |
| 848年 | 唐留学中に廃仏に直面した円仁(えんにん)が帰国する |
| 850年 | 仁明天皇が崩御し、文徳天皇が即位する 出羽国地震 |
| 857年 | 藤原良房が太政大臣に就任 |
| 858年 | 文徳天皇が崩御、清和天皇が即位 藤原良房が事実上の摂政となる |
| 864年 | 貞観大噴火(富士山)(2か月以上に渡って溶岩流が溢れて扇状に広がり、ふもとの湖にも流れ込んだ、この噴火の溶岩は「青木ヶ原溶岩」と呼ばれ、青木ヶ原樹海はその溶岩のうえに発達した大森林) |
| 866年 | 応天門の変が勃発、応天門が炎上し、伴善男が流罪となる 良房が正式に摂政となる |
| 869年 | 貞観地震(地震の規模はマグニチュード8.3以上と推定、死者数は記されないが津波によりかなりの犠牲者が出た、地震により夜の空が昼のように照らされたという) |
| 876年 | 清和天皇が譲位し、陽成天皇が即位する |
| 884年 | 藤原基経(もとつね)が陽成天皇を廃位し、光孝天皇(こうこうてんのう)が即位する |
| 887年 | 光孝天皇が崩御し、宇多天皇が即位する 藤原基経が日本史上初の関白となる |
| 888年 | 阿衡事件 |
| 889年 | 高望王(平高望(たいらのたかもち))が平姓を賜る(桓武平氏) |
| 894年 | 菅原道真の建議により、遣唐使が廃止される |
| 897年 | 宇多天皇が譲位し、醍醐天皇が即位 |
| 901年 | 菅原道真が、藤原時平によって太宰府へ左遷される |
| 905年 | 紀友則(きのとものり)、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)の4人によって「古今和歌集」が撰進する |
| 927年 | 藤原忠平らが、延喜式を選進する |
| 930年 | 6月、清涼殿に落雷(菅原道真の祟りと恐れられる) 9月、醍醐天皇が崩御、藤原忠平が摂政に任じられる 11月、朱雀天皇が即位 |
| 935年 | 紀貫之が『土佐日記』を著す 常陸国野本にで平将門と源三兄弟が合戦になり将門が勝利、将門がさらに平国香を討ち取る |
| 936年 | 平貞盛(平国香の父)・平良兼が将門を討伐する為に下野国に入り将門と戦うが将門が勝利 |
| 937年 | 将門が東国へ帰る |
| 938年 | 将門と平貞盛が再び相対するも、将門を討つ事はできず 空也、都で念仏を説く |
| 939年 | 平将門が常陸・下野・上野の国府を襲い新皇を称す 藤原純友の乱 |
| 940年 | 平将門が平貞盛(さだもり)と藤原秀郷(ひでさと)によって討たれる |
| 941年 | 藤原純友が小野好古(おのよしふる)らによって討たれる |
| 946年 | 朱雀天皇が譲位し、村上天皇が即位 |
| 967年 | 5月、村上天皇が崩御、冷泉天皇が即位 7月、「延喜式」が施行される |
| 969年 | 源満仲(みつなか)の讒言により、左大臣の源高明(たかあきら)が左遷される(安和の変) 高麗の使節が対馬を訪れる 藤原実頼(さねより)が摂政に就任する |
| 970年 | 藤原伊尹(これただ)が摂政に就任する |
| 972年 | 藤原兼道(かねみち)が関白に就任する |
| 974年頃 | 『蜻蛉日記』が成立(藤原道綱の母がのこした日記、954〜974年の出来事が記される) |
| 985年 | 源信が『往生要集』を著す(仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書) |
| 984年 | 円融天皇が譲位、花山天皇が即位、懐仁親王が立太子される |
| 986年 | 花山天皇が譲位し、一条天皇が即位 |
| 990年 | 藤原兼家(かねいえ)が関白に就任し、藤原道隆(みちたか)が摂政・関白に就任する 藤原道隆の娘・定子が中宮になる |
| 995年 | 藤原道兼(ふじわらのみちかね)が関白に就任するが、間もなく没する 藤原道長が事実上の摂政となる 疫病が流行し、藤原兼家ら宮中8人の公卿が死亡 |
| 996年 | 藤原伊周(これちか)、隆家(たかいえ)が左遷される |
| 996年 | 清少納言が「枕草子」を著す |
| 999年 | 藤原道長の娘・彰子(12歳)が一条天皇の女御になる(のちに敦成親王(後一条天皇)を出産) |
| 1000年 | 定子が皇后に、彰子が中宮になる、定子が第二皇女を出産した直後に死去 |
| 1001年 | 紫式部が「源氏物語」を執筆し始める |
| 1008年 | 「源氏物語」の一部が流出し、1010年初め頃までにほぼ完成する |
| 1011年 | 一条天皇が譲位、三条天皇が即位 |
| 1016年 | 三条天皇が譲位(まもなく崩御)、後一条天皇が即位、藤原道長が摂政に就任 京都で大火、道長の土御門邸も焼失 |
| 1017年 | 藤原頼道が摂政に就任し、藤原道長が太政大臣に就任する |
| 1018年 | 道長が太政大臣を辞任、道長の娘・妍子が皇太后に、道長の娘・威子が中宮となる |
| 1019年 | 3月、藤原道長が出家 4月、刀伊の入寇(といのにゅうこう:女真族(満洲民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件) 12月、藤原頼道が関白に就任する |
| 1022年 | 藤原道長が無量寿院を法成寺に改める(1058年に焼失) |
| 1026年 | 万寿地震(山陰地方石見国で発生したと伝わる地震・大津波、史実か否かは不明) |
| 1027年 | 藤原道長が死去(京都府宇治市木幡の「宇治陵」と称される墓地群に葬られたが、現在では葬地は不明となっている) |
| 1028年 | 平忠常の乱が勃発 |
| 1036年 | 後一条天皇が皇子をのこさぬまま崩御、弟の後朱雀天皇が即位 |
| 1045年 | 後朱雀天皇が死期を悟り譲位、後冷泉天皇が即位、2日後に後朱雀が崩御 寛徳の荘園整理令、花新立荘園が停止される |
| 1051年 | 前九年合戦が起こる(1062年まで) |
| 1053年 | 平等院鳳凰堂が建立される |
| 1060年 | 藤原教通(のりみち)が左大臣に就任する |
| 1061年 | 藤原頼道(よりみち)が太政大臣に就任する |
| 1068年 | 後三条天皇が即位する |
| 1072年 | 後三条天皇が譲位し、白河天皇が即位する |
| 1083年 | 後三年合戦が始まる(1087年まで) |
| 1086年 | 白河天皇が譲位し、堀川天皇が即位する 白河上皇の院政が始まる |
| 1087年 | 後三年合戦が終わる |
| 1091年 | 源義家への荘園寄進が禁じられる |
| 1094年 | 藤原伊房(これふさ)ら、遼との私貿易で処罰される |
| 1095年 | 延暦寺僧徒、入京し強訴。白河上皇が院に北面の武士を置く(院の警衛にあたった、人数は不定) |
| 1096年 | 京都で田楽が流行する 白河上皇が出家し、法皇の位に就く |
| 1098年 | 源義家、院への昇殿を許される(以降、源氏が台頭) |
| 1105年 | 藤原清衡が平泉に中尊寺を建立(建築形式等の詳細は不明) |
| 1107年 | 堀川天皇が崩御し、鳥羽天皇が即位する |
| 1108年 | 源義親の乱、伊勢平氏の台頭の契機となった(平氏政権を生んだ平正盛の系統) |
| 1121年 | 藤原忠道(ただみち)が関白に就任する |
| 1123年 | 鳥羽天皇が譲位し、崇徳天皇が即位する |
| 1124年 | 平泉中尊寺で金色堂が建立される |
| 1128年 | 奥州の藤原清衡が没する |
| 1129年 | 鳥羽法皇が院政を始める |
| 1132年 | 平忠盛(ただもり)が昇殿を許される |
| 1137年 | 興福寺僧徒が入京し強訴する |
| 1141年 | 崇徳天皇が譲位し、近衛天皇が即位する |
| 1155年 | 近衛天皇が崩御し、後白河天皇が即位する |
| 1156年 | 保元の乱が勃発する |
| 1158年 | 後白河天皇が譲位し、二条天皇が即位する 後白河上皇の院政が始まる |
| 1159年 | 平治の乱が起こる |
| 1160年 | 源頼朝が伊豆へ配流される |
| 1165年 | 六条天皇が即位 |
| 1166年 | 平清盛が大宰府・博多と日宋貿易を掌握 |
| 1167年 | 平清盛が太政大臣に就任する(同年、辞任する) |
| 1168年 | 高倉天皇が即位、平清盛が出家する |
| 1171年 | 平清盛の娘・徳子が高倉天皇の妻となる |
| 1175年 | 法然が専修念仏を説き浄土宗を開く |
| 1177年 | 安元の大火、平安京の3分の1が焼失 |
| 1178年 | 治承の大火 |
| 1179年 | 後白河法皇が平清盛に幽閉される(治承三年の政変) |
| 1180年 | 源平争乱が勃発 3月、安徳天皇即位 4月、以仁王の令旨 8月、源頼朝と平氏方による石橋山の戦いが起こる 9月、木曽義仲が挙兵する 10月、源平両軍による富士川の戦いが起こる |
| 1181年 | 平清盛が死去(以降、急速に平家の没落が始まる) 養和の飢饉(大量の餓死者と、土地を放棄する農民がおおく発生、京都市中で死者4万2300人)、この飢餓のなかで木曽義仲は京都で兵糧を徴発しようとする |
| 1183年 | 5月、源義仲が礪波山で平維盛の軍を破る 7月、義仲が京都に入る、平氏は都落ちし西国へ逃れる 9月、後鳥羽天皇即位 10月、水島の戦いで義仲が平氏に敗北 10月、源頼朝が東国支配権を獲得する(十月の宣旨) |
| 1184年 | 1月、宇治川の戦い、木曽義仲が死去 2月、一の谷の戦い〜源範頼と義経が平氏に勝利 6月、源頼朝が関東知行国(ちぎょうこく)、三カ国を獲得する |
| 1185年 | 2月、屋島の戦いで義経が平氏に勝利 3月、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する 4月、源頼朝、従二位となる 10月、源義経が頼朝追討の宣旨を得る 11月、源頼朝が義経追討の院宣を得る、諸国に守護・地頭を設置、幕府が朝廷から兵糧米の徴収を認められる |
| 1189年 | 4月、藤原泰衡が義経を殺害する 9月、頼朝が奥州藤原氏を滅ぼし、奥州を平定する |
| 1191年 | 日本における臨済宗(りんざいしゅう)の開祖、栄西(えいせい)が中国から帰国 飛鳥の川原寺が炎上(九条兼実の日記『玉葉』) |
| 1192年 | 7月、源頼朝が征夷大将軍に就任する |
| 1199年 | 1月、源頼朝が落馬で亡くなり、この源頼家が家督を継承する |