太平洋戦争の推移年表

太平洋戦争の推移

日中戦争の打開策を東南アジアに求めた日本は、ドイツとの同盟を背景に、米英に宣戦布告する。
その後、日本はわずか半年で南太平洋一帯を手中に収めたが、米軍の猛反撃の前に「大東亜共栄圏」は脆くも崩れ去った。
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連戦連勝に酔い、戦線を広げ過ぎた日本

日本の先制攻撃で開戦

1941年12月8日、日本陸軍がイギリス領のマレー半島に上陸、海軍がハワイ・真珠湾の米軍基地を攻撃して太平洋戦争が始まった。
日本軍は、開戦とともに怒涛の快進撃で南下を進め、シンガポール、グアム、ニューギニアなどを次々に占領した。
開戦から半年後の1942年半ばには、「大東亜共栄圏」の名の許、ほぼ南太平洋全域に勢力を広げた。

ミッドウェー海戦の敗北で一気に劣勢に

しかし同年6月、ミッドウェー海戦では海軍が米軍に大敗すると、戦局は一変する。
圧倒的な物量を誇る米軍は猛反撃に転じた。
日本は絶対国防圏を設けて守りに入ったものの、相次いで拠点を失っていった。
物資に乏しい日本は、もともと短期決戦以外に米英に勝てる見込みはなかったのだ。

本土空襲本格化で敗北

1944年夏にサイパン島が陥落すると、日本は制海権・制空権ともに失い、米軍の本土空襲が本格化する。
1945年になると、日本の大半の都市は焦土と化し、6月には沖縄も陥落
そして、8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下され、日本は敗戦を受け入れる結果となった。

太平洋戦争の年表

1941年

12月8日 コタバル上陸
日本陸軍が真珠湾攻撃より早く英守備隊と交戦、翌日には市内を占領した。
12月8日 真珠湾攻撃
日本海軍航空隊が真珠湾を攻撃し、戦艦4隻を撃沈、航空機231機を破壊する。
しかし、燃料タンクなどの軍需施設をほぼ無傷で残した。

1942年

1月2日 マニラ占領
空爆で米空軍を一掃した日本軍はマニラに無血入城。
その後、バターン半島に後退した米軍を撃破した。
2月15日 シンガポール占領
マレー半島を南下した日本陸軍に英軍が降伏。
以後日本は、シンガポールを昭南島と改称する。
3月9日 ジャワ島占領
日本海軍が蘭英米豪の連合艦隊を破り、陸軍が蘭領東インドの最大拠点バンドンを攻略。
6月5〜7日 ミッドウェー海戦
日本海軍は米軍の前線基地奪取と、米機動艦隊撃滅を狙ったが、暗号を解読した米艦載機の返り討ちにあい、空母4隻、航空機約300機、多数の熟練兵を失う大敗を喫する。
この敗北で、これまで連戦連勝だった日本軍の優位が崩れ、以後、米軍の反攻が本格化する。

1943年

2月1〜7日 ガダルカナル島撤退
約6万の米軍が前年8月に上陸した約3万の日本軍と激しい攻防戦を展開。
補給を断たれた日本軍は2万人以上の死者を出して撤退する。
死因の6割以上は餓死と病死だった。
5月29日 アッツ島玉砕
米軍が日本の占領化にあったアッツ・キスカ両島の奪還作戦を開始。
アッツ島守備隊は徹底抗戦を選び、全滅した。
キスカ島守備隊は7月までに撤収に成功した。
11月23日 マキン・タラワ玉砕
マキン・タラワ両島に米軍約2万5000が上陸。
日本守備隊は奮戦したが、3日間で全滅した。

1944年

3〜7月 インパール作戦
日本軍は英軍のビルマ侵攻を阻止すべくインド・インパール攻略を強行。
補給を軽視した無謀な戦術により、物資が不足した日本軍は撤退。
約3万人が戦死し、4万人以上が上と病に倒れた。
6月19〜20日 マリアナ沖海戦
日米艦隊が決戦、日本海軍は空母3隻と航空機約400機を失う完敗を喫した。
7月9日 サイパン島陥落
1カ月に及ぶ米軍との激戦の末、日本軍は全滅。
以後、本土空襲が日常化した。
10月23〜25日 レイテ沖海戦
日本海軍は総力を結集し、マッカーサー率いる米軍に決戦を挑んだが、「武蔵」他の艦艇と航空機の殆どを失い、壊滅。

1945年

3月26日 硫黄島陥落
7万5000の大軍で上陸した米軍に対し、約2万5000の日本軍は頑強に抵抗したが、1カ月余りの激戦の末、約2万人が戦死した。
3〜6月 沖縄戦
日本軍は市民を巻き込み抵抗するが敗北。
多くの民間人が犠牲となる悲惨な戦いであった。
8月6〜9日 原爆投下
広島と長崎に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者を出す。
そして8月15日、日本は降伏した。

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