安土桃山時代

安土桃山時代の年表

安土桃山時代の年表。安土桃山時代は西暦1573年から1603年までの30年間の時代を指す。1573年に織田信長によって十五代将軍・足利義昭が京都を追放されてから、1603年に徳川家康が江戸幕府を開くまで。(1568年の信長の入京から1600年の関ヶ原の戦いまで、という解釈もある)

安土桃山時代の年表

簡単年表

西暦主な出来事
1568年信長が足利義昭を奉じて上洛を果たす
1569年徳川家康が今川氏真がこもる遠江掛川城を包囲
1570年姉川の戦い(織田・徳川の連合軍が、浅井・朝倉両氏を破る)
1571年信長が延暦寺を焼き討ち
1573年 1月、三方ヶ原の戦いで家康が武田信玄に敗北
5月、武田信玄が亡くなる
8月、織田信長が足利義昭を河内へ追放したため、室町幕府が滅亡する
9月、朝倉義景と浅井長政が信長に敗れ自害し、両家とも滅亡する
1574年 信長により「伊勢長島の一向一揆」が鎮圧される
1575年 長篠の戦い」で武田勝頼が大敗する
1576年 信長が安土城の築城に取り掛かる
1577年 松永久秀が謀反を起こすが、敗北する
1578年 上杉謙信が亡くなる
1579年 5月、安土城天守閣が完成する
7月、徳川家康の嫡男「徳川信康」が武田家内通の疑惑により自害
1580年 「石山合戦」が終結する
1581年 信長が伊賀を平定する
1582年 2月、天正遣欧少年使節が日本を出発
4月、武田勝頼が自害する
6月、本能寺の変、信長が自害する
7月、山崎の戦いが勃発、明智光秀が敗死する
1583年 3月、「賤ヶ岳の戦い」が起こる、柴田勝家が自害
11月、羽柴秀吉が大坂城の築城に取り掛かる
1584年 小牧・長久手の戦いで、秀吉と家康が戦う
秀吉と家康が和睦し、次男・秀康を秀吉の養子とする
1585年 秀吉が関白に就任
秀吉が紀伊に入り、根来・雑賀の一揆を鎮定する
長宗我部元親が秀吉に降伏
1586年 秀吉が太政大臣に就任、豊臣姓を賜る
上杉景勝と徳川家康が秀吉に臣従する
1587年 バテレン追放令が出される、聚楽第が完成する
1588年 海賊禁止令が発布される
刀狩令が発布される
1589年 豊臣鶴松が生まれる(しかし、1591年に亡くなる)
1590年 4月、関東の北条氏を討伐する小田原城攻略開始
7月、北条氏が滅亡する
8月、奥州平定が完了し、豊臣秀吉が天下統一
1591年 秀吉が身分統制令を定め、士農工商の身分体系を確定する
秀吉の命により、千利休が切腹する
1592年 文禄の役、朝鮮へ出兵
天草版平家物語が刊行(天草で刊行された『平家物語』キリシタン版。編者は日本人修道士不干ハビアン。宣教師の命により日本語ならびに日本の歴史の学習用に新たに編纂された)
1593年 豊臣秀頼が生まれる
1594年伏見城完成
1595年豊臣秀次が、秀吉に命により切腹する
1596年 サン=フェリペ号事件
1597年 慶長の役、二度目の朝鮮出兵
1598年 秀吉が死去する
1599年 前田利家が死去、七将による「石田三成襲撃事件」
1600年「関ヶ原の戦い」で徳川家康が西軍を破る
石田三成が処刑される
1601年家康が東海道に伝馬制度を設ける
1603年 家康が征夷大将軍に就任し江戸に幕府を開く、徳川・豊臣の二重政権状態となる
1604年徳川秀忠が征夷大将軍に就任、家康が秀頼に臣下の礼を取るよう促すが秀頼は拒否
1610年加藤清正が名古屋城の築城に取り掛かる(徳川幕府への牽制)
1614年徳川と豊臣の交渉が決裂、大坂冬の陣が勃発
1615年 大坂夏の陣、豊臣氏が滅亡する
安土桃山時代はいつからいつまで

安土桃山時代はいつからいつまで


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