武士の仕事 奉公人

武士の仕事 奉公人

奉公人とは

江戸時代の「奉公人(ほうこうにん)」というと、商家で働いていた印象があるが、武家屋敷に奉公人はいた。
旗本などの私的な使用人である。
彼らの多くは、農家の次男以下の出身で、武家屋敷内の様々な雑用をこなしていた。

若党、中間、小者と位がある

彼らの身分は、大きく三つに分かれる。
まずは奉公人といえでも、一応は侍として扱われた士分格の「若党(わかとう)」。
かつて合戦があった時は徒歩で戦った最下級の侍である。
次に、士分と平民の間の身分を「中間(ちゅうげん)」、そして平民の雑用係を「小者(こもの)」と呼んだ。

中間の仕事

このうち「中間」は、江戸初期までは、戦闘にも参加していたが、平和な時代になってからは、もっぱら雑用要員になった。
槍持ち、草履取り、挟み箱持ち、馬の口取りなどとして、主人の側について歩く事が、彼らの主な仕事になった。

主人を守る為、常に付き従う

例えば、1000石級の旗本が出勤する場合である。
先頭を2〜3人の若党が歩き、その後ろに馬に乗った主人、馬の周りには数人の侍と槍持ち、さらにその後ろに2〜3人の挟み箱持ち付いていた。
その中、槍持ちは、主人の右側の少し後ろに従った。
争い事などが起こり、主人が「槍」と叫べば、すぐに槍を差し出す為である。
その際には、主人が右手で槍を受け取り、左手を添えれば、そのまま戦闘体勢がとれるように差し出さなければならなかった。

草履取り

また、殿中でも役所でも、武士が座敷に上がれば、玄関には沢山の草履が並ぶことになる。
どれが誰の草履なのかすぐに分らなくなるので、武士は草履取りを従えていた。
主人が座敷に上がっているあいだ、草履取りは主人の草履を二枚裏合わせにして、腰に差すか、懐にしまって控室で待機している。
そして、玄関で「誰々の草履取り」と呼ばれると、玄関の式台から1mほど離れた所から、主人が降りる足元へ草履を投げ揃えた。

草履が上手く揃わなければ、主人に恥をかかせる事になる。
そのため、草履取りは日頃から草履投げの練習を欠かさなかった
現代の目から見ればバカバカしい光景に思えるが、当時はこれも武家のたしなみだったのだ。

挟み箱

また、武士が出勤するときには、挟み箱持ちが後ろに従った。
彼らが担ぐ挟み箱の中には、執務に必要な道具と、着替えが納められていた。
着替えをいつも用意していたのは、出張を命じられた時、いちいち帰宅しなくても出発出来るようにするためである。

中間は雨の日でも傘を差さない

ちなみに、中間たちは、雨の日でも、紙製の雨合羽を羽織るだけで、傘を差すことは許されなかった。
そして、路上で身分の高い武士と出会えば、雨合羽を脱いで道端に寄り、土下座をしなければならない。
雨に濡れても、その武士の一団が通り過ぎるまでは、顔を上げる事もできず、「びしょ濡れ」になる事から、俗に「びしょ」というありがたくない名前でも呼ばれていた。


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