都市開発

戦国時代の都市の発達

全国的な都市の発展

鎌倉時代や室町中期頃までの都市は、京都や鎌倉など政権の中心地にしか存在していなかった。
商業や文化の発達で、地方にも経済発展の波が拡散し、各地に様々な都市が誕生する。
また、応仁の乱の後、戦国大名たちは、秩序の乱れた実力主義の世を生き抜く必要があった。
そのため、武力・経済力を蓄える為に、積極的に領土開発を行っていたのだ。

戦国時代だからこそ、城下町が必要だった

戦国時代には、京都や鎌倉など旧来の都市の他に、各地に様々な都市が発達した。
戦国大名は、軍事力の集中と領国の一元的な支配の為に、居城の周囲に家臣を集めて住まわせた。
こうして発生した城下町は、やがて領国経済の中心としての機能を持つようになり、都市として発展していった。

門前町と寺内町

また、室町時代後期から安土桃山時代に掛けて寺社参詣(じしゃさんけい)が流行し、信濃善光寺などの寺社の門前には、門前町(もんぜんまち)という町が形成された。
一向宗・浄土真宗本願寺派の勢力が強い吉崎などには、寺院の境内に町が作られ、寺院の周囲には防衛のための濠や土塁が築かれた。
こういった町を、寺内町という。

堺・博多など、港町が発展

国内交易や外国貿易の活発化にともない、交通の要地には港町が発達した。
応仁の乱で西軍の大内氏に兵庫港を占領された東軍の細川氏は、遣明船(けんみんせん:日明貿易(勘合貿易)に用いられた船)の新たな発着港とし、朝鮮貿易、琉球貿易なども行った為、堺は大いに繁栄した。
また、古代からの国際都市博多は、朝鮮・中国・琉球などとの貿易に従事する商人たちの拠点となって、いっそうの発展を遂げた。

戦国時代に発展した都市『山川 詳説日本史図録』より引用

戦国時代に発展した都市(『山川 詳説日本史図録』より引用)

領主の支配から独立した自由都市

日本のベニスといわれた「堺」

都市の成立は、また民衆の自立を示すものでもあった。
貿易で莫大な利益を上げた堺では、有力な廻船業者(かいせんぎょうしゃ)による会合衆36人が市政を行った。
町の周辺に堀を巡らせ、傭兵を置いて自衛し、武装勢力が堺に入る事を許さなかった。
堺について、ポルトガル人宣教師の「ガスパル・ヴィレラ」は「ベニス(ベネチア)のように、執政官によって自治が行われている」と高く評価している。

町衆と年行司

京都では、町衆(ちょうしゅう)と呼ばれる裕福な商工業者が、朝廷や幕府を頼らずに、応仁の乱で焼失した町の復興にあたった。
博多でも年行司(ねんぎょうじ)と呼ばれる12人の豪商が、自治にあたった例がある。

戦国時代の主な都市

城下町
小田原(後北条氏)、駿府(今川氏)、甲府(武田氏)、一乗谷(朝倉氏)、山口(大内氏)、府内(大友氏)、鹿児島(島津氏)
門前町・寺内町
長野(無宗派)、吉崎(一向宗)、宇治山田(伊勢神宮)、大坂(石山本願寺)
港町
直江津、大湊、草戸千軒、博多

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