
ローマ帝国中に広まり、ついに帝国がキリスト教を公認した。
西暦30年頃、ユダヤ教から生まれたキリスト教は迫害を経て、やがてローマ帝国全域へ広がっていった。
キリスト教は、ローマ帝国の時代に生まれた世界宗教である。
イエスは、当時のユダヤ教の形式的な律法主義を批判している。
神の国の前では、ユダヤ教徒である事は特権ではなく、各人の信仰が問題である事。
また神は、ユダヤ教のいうような嫉妬し恐れるものではなく、恵みを与えるものであるとし、神への愛、隣人への愛を説いた。
しかし、こうした言動に憤ったユダヤ教の指導者らに反逆者として密告され、30年頃、ローマ総督ピラトによってイエスは十字架刑に処された。
その後、イエスが復活したという信仰が生まれ、使徒ペテロや伝道者パウロなど弟子たちは、ユダヤ教徒に迫害されながらも、教会を造り、イエスこそが神の子キリスト(メシアのギリシア語)で、その死は全人類を救済するための贖罪の死であったと、地中海各地に宣教していった。
キリスト教徒は当初、ローマの大火の犯人とされ、ネロ帝の迫害を受けたり、また帝国の伝統的な祭儀や皇帝崇拝を拒んだ為、敵視されながらも、カタコンベ(地下墳墓)などに逃れて信仰を続けた。
そうして3世紀になる頃には、ローマ帝国内で次第に信者を増やしていった。
303年、伝統的なローマの神々への信仰を重んじ、皇帝崇拝を強制したディオクレティアヌス帝が大迫害を行った。
しかし、ますます増える信者の勢いに、迫害より懐柔と、313年、コンスタンティヌス帝はミラノ勅令によってキリスト教を公認する。
たちまち教会組織が整えられ、聖職者の身分が生まれた。
イエスは神か人間か。
教義の対立が深刻となり、325年、ニケーア公会議で、イエスを神と認めるアタナシウスの説を正統とし、イエスを人間とするアリウス派は異端となった。
そして、392年、ローマ帝国は全ての異教を禁じ、キリスト教を国教と定めた。
同じころ、現在の形の教典「新約聖書」が成立した。
また、5世紀に神とイエス(子)と聖霊を3つの位格とする三位一体説が確立し、異端とされたネストリウス派は東へ伝播した。
イエスが誕生したのは紀元前4世紀頃(諸説あり)といわれている。
ヨセフの妻マリアの子としてベツレヘム(現パレスチナ地方)で誕生したとされ、この誕生の日は、現在ではクリスマスとして祝われている。
その後、ヘロデ大王が幼児の迫害や虐殺を行うため、イエスは両親と共にエジプトへと脱出を図る。
そして、30歳の時、ヨルダン川で聖ヨハネから洗礼を受けた。
洗礼を受けたイエスは、実に40日もの断食を繰り返したとされ、その途中で悪魔からの誘惑(荒野の誘惑)を受けるものの、信仰の力によって打ち勝ち、退けた。
その後、訪れたガリラヤで水をブドウ酒に変えるという奇跡を起こし、人々から驚嘆を得る。
イエスは伝道の過程で多くの弟子を獲得した。
数多くの弟子の中から、十二使徒と呼ばれる12人を選び抜き、共に教えを説いて回った。
ところが、伝道の過程でユダヤ教から迫害を受けるようになる。
自らをユダヤ人の王と名乗り、神の子、救世主(メシア)と称した罪に問われたのである。
そして、弟子のひとりであるユダが裏切るであろうと口にする(最後の晩餐)。
そして、イエスは捕縛され、ゴルゴダの丘まで自ら十字架を背負って歩き、そして磔刑に処される事となった。
イエスの身体は十字架から降ろされた後、墓に埋葬された。
弟子たちは悲しみにくれるが、3日後(諸説あり)、絶命したと思われたイエスが突然弟子たちの前に姿を現した。
このイエスの「復活」の奇跡は弟子たちに大きな感動を与えており、現在もキリスト教の教えの中でも根幹を成すものである。
いわゆる「復活祭」は、クリスマスとならんで世界中で祝福される行事となっている。
イエス・キリストが存命中に選び抜いた12人の使徒たちは、イエス・キリストが亡くなってからも布教に尽力した。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に基づき、それぞれの人物像と役割を解説する。
開設の順番は右から。ヨハネ(左)とトマス(右)の間にイエスがいる。