高千穂

天孫降臨の地・高千穂

皇孫のニニギは地上を統治する為、たなびく雲を押し分けながら天下りの道を進んで、筑紫の東方の高千穂の峰に降り立ったという。
では、その高千穂の峰とは何処に在ったのか?
これについては諸説あり、今もって特定されていない。

天孫降臨とは

そもそも天孫降臨とは何なのか?
これは言葉の通り、天の神々が地上に降り立った事である。

オオクニヌシの国譲り

神話の時代、アマテラスは葦原中国(日本列島)の統治を決意し、国王のオオクニヌシに対して国譲りを迫る。
その三度目の使者である剣と雷の神タケミカヅチが出雲に振ると、オオクニヌシは国譲りの判断を二柱の子神にゆだねた。
先ずコトシロヌシが恭順して譲渡を承諾、次のタケミナカタはタケミカヅチとの力比べに挑むも圧倒され、、科野国の海(諏訪湖)に逃げて降参した。
こうして出雲の国津神との交渉は妥結した。

天孫ニニギの降臨

父方の祖母がアマテラス、母方の祖父がタカミムスビという天界の貴士ニニギが葦原中国の統治を任された
ニニギは三種の神器と、多くの神々を従え、国津神のサルタヒコを道案内として筑紫の東方の高千穂の峰に降下したという。
これが高千穂への天孫降臨である。

二カ所の高千穂

霧島神宮と高千穂神社

高千穂は何処に在ったのか、それは今現在分かっていないが、多くの候補地が名を連ねる。 そのなかでも特に、鹿児島県霧島市の霧島神宮や宮崎県高千穂町の高千穂神社などが候補地として有名だ。
高千穂候補地は非常に多くあり、名物の菓子を売る茶店までもが「元祖」や「本家」を名乗る事も珍しくはない。
それだけ天孫降臨の地「高千穂」は人々を魅了する存在なのだ。

ニニギが突き立てた天逆鉾

宮崎県と鹿児島県の県境にそびえ立つ霧島連山の高千穂峰の頂には、国家の安定を願ってニニギが突き立てたという天の逆鉾が残されている。
だが、もとの逆鉾は火山の噴火で焼けてしまい、現在のモノはレプリカであるという。

社格が高い火山の古社

この逆鉾と同じく、ニニギを主祭神とする山麓の霧島神宮も、古代から何度か噴火を受けて炎上した。
現在の社殿は、正徳5年(1715)に鹿児島藩(薩摩藩)の島津吉貴が造営したもので、極彩色の装飾が鮮やかなに映えて荘厳である。
また、社格も高く、天安2年(858)に朝廷から従四位下の神位が贈られ、明治7年(1874)には官幣大社に列している。
更に、この神社に関連したニニギの陵墓が鹿児島県川内市の新田神社にあり、昭和天皇などがご参拝されている。

夜神楽で名高い村の神社

高千穂神社の主祭神は高千穂皇神(ニニギとコノハナサクヤビメ、その子や孫と妻たち)と十社大明神(神武天皇の兄ミケヌと妻子九柱)である。
当地の言い伝えによると、この神社は、ミケヌが神を迎える神籬(ひもろぎ)を建て、ニニギ以下三代の子孫を祀った事が始まりだという。
だが、それに関する史料は存在していない。
平安中期に編纂された全国神社総覧『延喜式神名帳』にも、高千穂神社の名前は載せられていない。
社伝をの除くと、近世の寛永年間に延岡藩主有馬氏から200石の寄進を受けるまで、この神社に関する事は殆ど史料に残されていない。
また、明治6年に村社とされたようであり、社格は比較的高くはないようだ。

しかし、社格や由緒では信仰を語る事は出来ない。
ウズメの舞やタヂカラオの舞など、高千穂神社は天の石屋戸に関係した面白い夜神楽をほぼ連日催している。
その為、季節を問わず多数の善男善女が参詣に訪れているのである。

高千穂峡

また、高千穂峡という景勝地が町内にある事も、多くの人々を魅了している。
高さが100メートルに迫る断崖が7キロにわたって続く渓谷は絶景であり、天孫降臨に相応しい厳かな聖地を思わせる。

天岩戸神社

町内には、ニニギが降りたという二神山や、高天原の神話を伝承した天岩戸神社もある。
この神社の御神体は天の石屋戸で、高天原の神々が相談をした天の安河原や、ウズメが舞った場所まであるとされ、昨今ではパワースポットとなっている。


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