タケミカヅチ

相撲の元祖 タケミカヅチ

タケミカヅチは日本神話に登場する神で、雷神、かつ剣の神とされる。
オオクニヌシに国譲りの承諾を経て葦原中国を平定、神武天皇の東征にも助力した。
相撲の元祖ともされる神である。

タケミカヅチ

「地震のおかげで普請が増え、大工が儲けて大喜びしている」という、地震よけの歌にかこつけた風刺画(安政2年10月の瓦版)。
ナマズを抑えるのがタケミカヅチ

天上世界から派遣された式神

タケミカヅチは、天孫ニニギが地上世界に天下る天孫降臨に先立ち、地上世界の平定の為に遣わされた神だ。
『日本書紀』には、オオクニヌシが統治していた葦原中国をニニギに統治させるため、アマテラスが交渉役としてタケミカヅチ、フツヌシの二神を送り込んだことが記されている。
タケミカヅチは、イザナギが火の神カグヅチの首を切り落とした際に飛び散った血から誕生したという生粋の武人で、フツヌシと同一の神とする説もある。

葦原中国の平定

アマテラスの命により、出雲国に降り立ったタケミカヅチは、十掬の剣を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、オオクニヌシに対して国譲りの談判をおこなった。
このときオオクニヌシは、国を朝廷に譲るか否かを子らに託すが、子の1人であるコトシロヌシは、すんなりと服従した。
もう一人のタケミナカは、タケミカヅチに力比べを持ち掛けるが、手掴みの試合で一捻りにされて遁走、国譲りがなった。
この時の両者の戦いが、後の時代に相撲へと変化していった。
オオクニヌシに「国譲り」を承諾させたタケミカヅチらは、その後、地上のまつろわぬ(服従しない)神々を討ち果たし、草木や岩、星の神までをも従えてニニギの統治の地ならしをしたとされる。

神武の東征を助ける

天孫降臨から時が経ち神武天皇の時代になると、タケミカヅチは再び神話に登場する。
日向から大和へと東征する神武ら一行は、熊野で土地の神の抵抗に遭って大苦戦していた。
タケミカヅチはタカクラジという人物を通じて神武天皇に神剣フツノミタマを授け、この霊威によって神武天皇は窮地を切り抜け東征を成功させる事が出来たのだ。

全国の武道場に祀られる

このようにタケミカヅチは皇室を守護する武の神として、篤い信仰を集めて来た。
タケミカヅチを祀る神社の中心は茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮で、社伝では創建は2000年以上前の神武の時代だという。

また鹿島神宮と利根川を挟んで相対するように鎮座しているのがフツヌシを祀る香取神宮で、二社はどちらの境内にも地震を抑えるという要石があるなど、深い繋がりで結ばれている。
現在でも武道場の床の間には、アマテラスを中心に、向かって右にタケミカヅチ、左にフツヌシが一対で祀られるのが通例だ。

また鹿島神宮には、タケミカヅチが悪神を退治する際に用いた技が起源だとする「鹿島神流」という武術流派が伝承されており、剣術、柔術、薙刀など数々の武芸を伝えている。
現在ではスポーツの神として信仰され、地元の鹿島アントラーズは、シーズン開幕前には必勝祈願を欠かさない。

漢字表記

『古事記』では「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」や「建御雷神(たけみかづちのかみ)」、『日本書紀』では「武甕槌」や「武甕雷男神」などと表記される。単に「建雷命」と書かれることもある。
『古事記』では「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」とも記される。


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