天孫・ニニギ

天孫・ニニギ

ニニギはアマテラスの命によって、地上統治の為に降り立った神。
天孫ニニギが降臨する際には、天岩戸で活躍した五伴緒神をはじめ、多くの神々が随行した。
これらの神々が皇室をはじめ、主要豪族の祖神となった。

系譜

アマテラスの子であるアメノオシホミミと、タカミムスビの娘であるタクハタチヂヒメの子で、兄にアメノホアカリがいる。
『日本書紀』の一書ではアメノホアカリの子とされている。
オオヤマツミの娘であるコノハナサクヤヒメを妻とし、ホデリ・ホスセリ、ホオリ(やまさちびこ)らが生まれた。

表記

『古事記』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀』では天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命と書かれる。

豊かになった地上を神が統治

葦原中国(日本列島)は、オオクニヌシによって大いに開拓されて豊かな発展を遂げていた。
だが、「地上世界の統治は、イザナギに全権を委任されたアマテラスの子孫が筋である」として、高天原ではオオクニヌシに「国譲り」を迫る使者を派遣する事となった。
オオクニヌシは高天原の使者に対して、退く自分の為の住まいとして何処よりも立派な宮殿を建てさせる事を約束させ、国譲りを承諾した。
この際に建てられたのが出雲大社であったといわれる。

天孫ニニギが地上に降臨

そうして地ならしの整った地上統治に赴いたのが天孫ニニギである。
ニニギは父方の祖母にアマテラスを持つのと同時に、母方の祖父にはタカミムスヒがいる。
高天原の二柱の主宰神を祖父母に持つニニギは、天津神のなかでも上位の血統の神といえる。

アマテラスから与えられた三つの神勅

地上に降りる事になったニニギに対して、アマテラスは三つの神勅(神からの命令)を与えている。
ニニギの子孫が永久に葦原中国を治めるべき事(天壌無窮の神勅)、八咫鏡をアマテラスそのものとして大切に祀る事(宝鏡奉斎の神勅)、高天原の稲穂を地上にもたらし育てる事(斎庭の稲穂の神勅)だ。
神勅はそれぞれ、天皇家による統治の正統性と、八咫鏡の重要性、そして稲が神から授けられた特別な作物である事を現わしている。

ニニギに随行した高天原の神々

ニニギと共に後の氏族の祖神が降り立つ

こうして三種の神器をはじめ数々の天上界の宝物と、大切な稲穂を授けられたニニギは神々を引き連れて地上に降り立つ事になる。
随行した神は、天岩戸で活躍したオモイカネ、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメといった面々で、いずれも古代朝廷の重要氏族の祖神として信仰される神々だ。

ニニギらがクシフルタケに到着

ニニギ一行が天地の境の要衝まで辿り着くと、そこにはサルタヒコという国津神(地上の神)が出迎えに来ていた。
この神の道案内によって、ニニギたちは無事に地上世界の九州・クシフルタケに到着する事が出来たのだった。

クシフルタケ・高千穂は何処だったか

クシフルタケの所在地は、『古事記』には「竺紫の日向の高千穂」とある。
その場所は現在の宮崎県高千穂町や、鹿児島と宮崎の県境霧島連峰の高千穂峰など諸説あるが、高千穂峰の鹿児島県側の麓に鎮座する霧島神宮は、祭神としてニニギを祀っている。
なお、三重県鈴鹿市の椿大神社の境内にニニギが天孫降臨の際に使用した御船が降り立ったという伝承地(御船磐座)が存在する。

埋葬地・可愛山陵

ニニギは薨去後「可愛之山稜」に葬られた。
埋葬地である「筑紫の日向の可愛の山陵」の伝承地は南九州各地にある。

天孫降臨の地に創建された神社

霧島神宮は確実に平安時代には存在した

霧島神宮の創建は社伝では神代の昔まで遡るとも云われている。
少なくとも平安時代の書物『延喜式神名帳』には名前が確認出来る。

何度も火山に見舞われた霧島神宮

活火山霧島山のすぐ近くにあるだけに、歴史上何度も噴火の被害によって社殿が焼亡しており、現在の場所に遷座したのは戦国時代初頭の文明16年(1484年)の事。
場所がら、歴代の薩摩藩主からも篤く崇敬され、島津家から寄進された本殿や幣殿、拝殿など国の重要文化財に指定されている建物も多く残されている。

ニニギと坂本龍馬

また高千穂峰の山頂には、ニニギが突き刺したとも云われる天の逆鉾が立っている。
霧島連峰に新婚旅行に訪れた坂本龍馬夫妻が見た(引き抜いたとも)事で有名である。


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