18世紀後半に始まった産業革命によって、世界でいち早く工業化を果たしたイギリス。
世界の工場と呼ばれるほど、工業生産において他国を圧倒する国力を誇っていた。
さらに、イギリスは自由主義に基づく政策を推進し、世界中に海外領土を保有、植民地帝国となった大英帝国は空前の繁栄を迎える。
>> 19世紀イギリスの海外進出年表
イギリスは、1837〜1901年の60年余りに渡って王位にあったヴィクトリア女王の時代に、絶頂期を迎えた。
国内では、自由党(Liberal Party)と保守党(Conservative and Unionist Party)が交互に政権を担当する議会制民主主義が定着していた。
この二大政党は労働者の支持を得て優位に立とうとし、それが政策にも反映された。
19世紀後半の選挙法改正で、都市労働者や農業労働者も選挙権を獲得し、教育法の制定、労働組合の合法化など、労働者を体制に取り組む政策が執られた。
「世界の工場」として圧倒的な工業力・経済力を持つイギリスであったが、1870年代に入ると、アメリカやドイツの追い上げにより経済が低迷した。
そこで、対外投資による利益拡大へと政策を転換し、植民地の拡大を図る帝国主義政策を推し進めていった。
保守党のディズレーリ首相は、1875年にエジプトからスエズ運河の株式を買収し、ヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要衝を押さえた。
また、1877年にはインドのムガル帝国を滅ぼし、イギリス国王が皇帝を兼ねるインド帝国とし、実質的に植民地化した。
さらに、エジプトの支配、南アフリカの植民地化を進める一方、カナダ、オーストラリアなど、本国からの移民が治める植民地を自治領地化した。
19世紀後半から20世紀初頭にかけての絶頂期に、イギリスは南極を除く全ての大陸に植民地を置いた。
西暦 | 出来事 |
---|---|
1815年 | ケープ植民地領有(南アフリカ) セイロン領有(現在のスリランカ)、ウィーン議定書による獲得 |
1840〜42年 | 香港領有、アヘン戦争による割譲 |
1857〜59年 | インドの直接統治、セポイの反乱鎮圧後、インド帝国を樹立 |
1878〜80年 | アフガニスタン保護国化、第二次アフガニスタン戦争に勝利し、ロシアの南進を防ぐ。 |
1882年 | エジプト保護国化、1875年にスエズ運河を取得済み |
1886年 | ビルマ領有(現ミャンマー)、インド帝国に併合 |
1895年 | マライ連邦領有(現マレーシアのマレー半島)、マラッカ海峡、シンガポールなど航路拠点を確保。 |
1899年 | スーダン領有 |