朝鮮半島では、中国の影響を受けつつ国が形成され、唐と結託した新羅が朝鮮統一を果たす。
これによって、倭国(日本)を含む古代東アジアの秩序が確立する。
新羅は仏教文化が繁栄し、中央主権国家体制を敷き、およそ250年程栄えた後、高麗によって滅ぼされた。
朝鮮半島では、前2世紀に衛氏朝鮮(えいしちょうせん)が興ったが、紀元前108年に前漢の武帝に滅ぼされ、朝鮮四郡として漢帝国に組み込まれる事になった。
朝鮮四郡は後漢末期に楽浪(らくろう)・帯方(たいほう)の2郡に再編されたが、北部を拠点とする高句麗が313年に楽浪郡を滅ぼした。
半島南部は韓族の馬韓(ばかん)、辰韓(しんかん)、弁韓(べんかん)にまとまった後、帯方郡を滅ぼし、4世紀半ばに至って百済(くだら)、新羅(しらぎ)が興ると、高句麗を含めた三国の勢力が拮抗する。
中国の南北朝時代、これら三国は、それぞれ北朝、南朝の冊封を受けていたが、隋・唐によって中華帝国が再建されると、情勢が変化する。
高句麗を脅威とした隋は、3次にわたって遠征軍を送るが、全て撃退された。
しかし、唐が新羅と結ぶと、半島内の勢力関係の均衡が崩れ、百済、高句麗が相次いで新羅に滅ぼされた。
676年、新羅は唐の影響力も排除し、朝鮮半島に初めての統一国家が建国された。
この間、倭国(日本)は、再興を企てる百済の遺臣を援助して半島に軍を派遣したが、白村江の戦いで大敗した。
新羅は、改めて唐に朝貢してその冊封を受けつつ、中央集権国家を建設する。
また、仏教を保護し、仏教文化が繁栄した。
新羅の支配体制は8世紀半ば頃から崩れはじめ、10世紀に高麗によって滅ぼされる。
一方、中国東北部から朝鮮半島北部には高句麗の遺民と靺鞨人(まっかつじん)による渤海(ぼっかい)が興り、唐の制度を取り入れつつ8〜9世紀に栄えた。
百済、新羅、高句麗といった朝鮮半島に興った国々は、中華帝国の権威を借りながら、7世紀まで抗争を続けた。