街道の発達

街道の発達

街道の起源と時代背景

我々の生活に欠かせない道はどのようにして生まれ、発展して来たのか?
日本における直線的な道路の起源は7世紀頃に整備されたモノだといわれており、これは7世紀初頭に派遣された遣隋使によって、中国・隋の様子が伝えらえた影響によると考えられている。
大化の改新後の646年に出された改新の詔では、「駅伝制を布く」という記述があり、計画的な直線道路、街道が全国に整備されはじめた。
その後中世では、神社や仏教寺院の建立に伴い信仰の為の道路も敷説されるようになった。
戦国時代は兵の移動や物資の輸送路として、街道が整備された。

源右大将上洛乃図

源右大将上洛乃図
源頼朝の上洛になぞられているが、参勤交代の大名行列と近江八景を描いている

江戸幕府の街道整備

徳川家康は、慶長6(1601)年、全国支配の為に五街道の整備に着手した。
一里塚を置き、一定間隔ごとに宿場を設置したのである。
また五街道の枝道や古街道として脇往還を設けた。
これらは参勤交代は勿論、参詣や物流の道として活用され、生活になくてはならないモノとなっていった。

助郷制度

助郷制度とは、宿場の役割である継立業務において、交通量が増えて、宿場にあった人馬が足らなくなった場合に、近隣の村々から人馬を集める制度だった。

東海道五十三次之内 庄野 人馬宿継之図

東海道五十三次之内 庄野 人馬宿継之図
前の宿場から運ばれて来た荷物を積み替えている

街道を利用する人々

江戸時代に入り、平和が訪れると庶民も旅行をするようになり、様々な身分の人が街道を利用する様になった。
街道が整備され、物流も盛んになると、旅をしながら商いをする商人なども増加。
伊勢参りが一般化し、各地と伊勢神宮を結ぶ伊勢街道が整備されたのもこの時代である。

岐岨街道 鴻巣吹上富士遠望

岐岨街道 鴻巣吹上富士遠望
吹上近辺の寂しい道を旅の商人や虚無僧が行き交っている

宿場町

旅になくてはならない休息の町

宿場とは江戸時代、幕府が五街道や脇往還に設置した駅逓事務を取り扱う町場の事である。
古代、奈良平安時代から置かれ、江戸時代に宿駅伝馬制度が定められて、街道が整備されるとともに発展していった。
ちゅくばを中心に構成された街を宿場町と呼んだ。
宿場には人馬の継ぎ送りを行う問屋場の他、本陣、旅籠などの宿泊施設や茶屋などの様々な店が並んだ。
交通量の増大や物流の活発化に伴って、人や物が集まり繁栄したという。
明治に入って衰退したが、現在でも当時のたたずまいを残す宿場があり、観光客に人気を呼んでいる。
なお、当時の旅は一泊のみの滞在で、原則として連泊は認められていなかった。

旅人の宿屋

宿屋の料金は、設備や食事の内容によって違った。
公武が利用し、最も格式のある本陣とそれに次ぐ脇本陣、庶民が利用した旅籠・木賃宿と大きく4つに分けられた。

御油・旅人留女

御油・旅人留女
宿屋の客引きで、強引に腕や荷物を掴んで、女たちが旅人を奪い合う風景が描かれている

間の宿と立場

宿場間の距離が長い場合、間にできた休息用の町場を間の宿というが、宿泊は禁じられた。
より小規模なモノは立場といった。

草津名物立場

草津名物立場

本陣
大名や旗本、幕府の役人、勅使や公家などが利用した。
一般の旅籠屋と違い、特権で門、玄関、書院を設ける事が出来た。
本陣には宿役人の問屋や村役人など有力者の居宅が指定される場合が多く、宿場町に1つは置かれていた。
脇本陣
本陣に次ぐ格式の宿で、大きな藩で本陣だけでは泊まり切れない場合や、藩同士が鉢合わせた場合、格式が低い版が利用した宿。
旅籠
武士や庶民が利用した、食事を提供する宿屋。
時代が下がると、接客用の飯盛女を置く飯盛旅籠と、置かない平旅籠に分かれた。
木賃宿
客を米を持参し薪代を払い、自炊するか炊いてもらう。
薪代(木賃)程度で泊まれる宿。
天保年間には旅籠の1/5以下の代金だったという。
大内宿(福島県・南会津)

大内宿(福島県・南会津)
下野街道と呼ばれた会津と日光を結ぶ街道に在った宿場で、道に妻を向けた寄棟造の民家が30軒以上並ぶ

宿屋の人々

旅人にとって宿屋で過ごす時間は、旅の楽しみの一つであった。
庶民に旅が浸透するにつれて、宿屋は独自のサービスを出し、客を呼び込んだのである。

主人
土地の風物話などで客を楽しませた。
付近の名所や古墳に詳しい主人は旅人の間で人気を得た。
飯盛女
旅籠屋で旅人の為に給仕をする下女だが、半公認の私娼でもあった。
食売女、宿場女郎などともいう。
交通と経済の発達に伴って増加した。
幕府の取締は厳しく、1宿場2人以内と決められた。

宿場町の商店

旅人が増加して宿場を利用する人が増えると、疲れを癒す茶屋から土産を購入する店まで、様々な商店が並ぶようになった。

問屋場
駅亭、伝馬ともいい、幕府の公用旅行者や大名などが宿場を利用する時に、必要な馬や人足を用意しておき荷物を継の宿場まで運んだ。
また、幕府の書状や品物を次の宿場まで運ぶ、継飛脚も行った。
複数の問屋場がある宿場もあった。
酒屋
良質な水が沸く山間や農村などでは、自家で造った酒を売る造り酒屋が数多くあった。
都市部では、他で醸造した酒を商いする店もあった。
薬屋
旅先でケガや病気になる事もあり、店舗販売の薬屋は多かった。
特別な許可はなくても販売でき、偽薬も横行したともいう。
小間物屋
目貫、小刀や口紅、白粉、カンザシなどの日用品を扱う店。
荷を担って売り歩く小規模な商いと、店舗を構えての大規模な商いがあった。
草履屋
当時は道も悪く、旅人は3日程度で1足の草履を履き潰したという。
予備を腰から下げて歩いていたが足りなくなれば草履屋で購入した。
茶屋
水茶屋、掛け茶屋といった、旅人向けの休息所。
茶や和菓子、一膳飯、酒などを提供した。
浮世絵にも様々な茶屋が描かれている。

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