日本の動物信仰

日本の動物信仰

古代の日本人は動物を追い、一方で動物も人間を襲った。
後に飼育が始まると、食用や敵対といった関係だけではない、人間と動物との付き合いが始まる。
そこでの動物は、農耕や人々の暮らしにおいても一翼を担い、畏敬や愛情の対象ともなっていく。
日本の歴史の中で、多面的な動物観が育まれ、いつしか人は多くの動物を神様の一種として敬うようになった。
日本における信仰の対象とされた動物たちを見ていく。

生命力の象徴

縄文時代前期後半には土器の装飾に動物が用いられ始め、鉢の口縁部に猪か豚の頭が付けられたモノがある。
縄文時代後期の立体的な動物形土製品では猪の数が他の動物より圧倒的に多い
狩猟数がそれだけ多かったともいわれるが、同様に多数狩猟された鹿はあまり例がない
猪は飛びぬけて多産で、狩られても容易には死なない。
古代人はその生命力に、価値を見出したのかも知れない。

鹿

供物とされた聖なる動物

弥生時代中期に作られた土器絵画には、鹿が描かれたものがある。
儀式を行う人間(シャーマン)と共に矢負いの鹿などを象ったモノもある。
鹿は地霊を象徴する動物で、豊穣を願う供物として田に鹿を捧げた事の表れだとも云われる。
古墳からは鹿を象った埴輪も出土されている。
鹿は時代が下がっても、神の使いと信じられ神聖視され続けた。

大地の神と考えられた

奈良の大神神社には蛇の神が住むという。
神社に蛇の神がいるという言い伝えは各地に残り、それは土地の神であるという。
「常陸国風土記」にみえる「夜刀の神」も開発に抵抗する大蛇であった。
また、家の守護神として屋敷に住む蛇を大切にすると家が繁栄するという言い伝えもある。
弁財天と習合した後には、財宝を授ける神としても信仰された。

各地に伝わる小さな神

狐と言えば稲荷。
稲荷信仰の始まりは、奈良時代の豪族・秦氏まで遡る。
稲作を司る農耕神の使いが狐とされた。
稲荷は平安時代に真言宗の荼枳尼天(だきにてん)と習合し、戦国時代には城郭の鎮守としても敬われた。
人間に化ける、狐が憑くなどと恐れられたが、最も身近な神の使いとして家々に小さな祠が造られた。

白鳥

稲を連想させ神秘なものとされた

奈良時代初期に編纂された豊後国(現在の大分県)の風土記である『豊後国風土記』には次のように書かれている。

「豊後の国の球珠速水の郡の田野に住んでいた人達は水田を作って稲作を行っていた。
余った米で大きな餅を作って、それを的にして矢で射ると、その餅は白い鳥になって飛んでいってしまった。
その後、家は衰え、水田は荒れ果てた野になってしまった。」

古来から日本では、白鳥は稲を連想させ、信仰の対象となっていた。
神秘な霊を宿すものと考えられていたのだ。
その為、粗末に扱うことのないようにという意味が込められていた。

神格化された絶滅種

近世では山間部を中心に狼の被害が伝えられる。
その一方、秩父の三峯神社などを筆頭に魔除けや憑き物落とし害獣除けとして信仰されるなど、狼は日本人の動物観の多様性を象徴している。
20世紀初頭に捕獲されたのを最後に生息状況が確認できず、狩猟や土地開発によって生息地の減少などによって絶滅されたといわれる。

架空聖獣

龍・鳳凰・玄武・鵺

人々は畏怖の対象や瑞兆のシンボルに、架空の動物を生み出した。
龍はもともと中国で生まれたが、日本の水神・蛇と結びつき龍蛇神となった。
農耕に欠かせない慈雨と荒れ狂う嵐をもたらす二面性を持つ。
天皇の興の屋根を飾った鳳凰は、宇治の平等院鳳凰堂をはじめ、祀りの神輿などにも欠かせない意匠となった。
亀と蛇が合成した玄武も中国生まれだが、平安京の北方を守る鎮護神として崇められた。
『平家物語』にも登場する鵺(ぬえ)は、頭が猿、体は狸、尾が蛇、脚は虎、、鳴き声はトラツグミ(虎鶫)という怪物で、貴人を悩ませた。
人々の持つ恐れや憧憬が、動物の姿を借りて表現された聖獣は、鬼や妖怪だとと同じく、繰り返し語られ、描かれた。


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