礼儀と挨拶

武士の作法 礼儀と挨拶

武士はとても礼儀正しい

礼儀作法に厳しかった武家社会では、殿中で貴人に拝謁するときだけでなく、親しい同僚の家を訪ねた時や、馬に乗っていて、誰かとすれ違った時など、時と場合に応じて挨拶の仕方を変えなければならなかった。
その挨拶の形には、大きく分けて「(しん)」「(ぎょう)」「(そう)」の三つがあった。

「草」と「行」

まず、往来で同輩と会った時は「草」の例で、お互いに一旦停止して、両手を下げて目礼する。
一方、勤務中などに上司とすれ違う時は、もう少し丁寧な「行」の礼をする。
きちんと停止して、手を膝に付け、深々と頭を下げるのだ。

最高に丁寧な「真」

さらに貴人へお目通りするときは、最高に丁寧な「真」の礼をする。
畳に座り、親指を広げ、人差し指と中指を揃えて、三本の指でひし形を作る。
そのひし形の真ん中に顔を伏せて、畳に鼻を擦り付けるかのようにして、平伏するのだ。
この指でひし形を作る座礼の作法は、護身の心得でもあった。
平伏している時に突然頭を押さえられても、ひし形に作った指がクッションとなって、鼻が床に激突するのを防げるのだ。
しかも、肘の反動を使えば、素早く顔を上げる事も出来たのだ。

主君に拝謁するとき

これが、殿中で主君に拝謁するときになると、「真」の礼がさらに発展して、一種芝居がかった大げさなものになる。
将軍が「表を上げい」と声を掛けても、恐れ入って中々顔を上げられないようなフリをしたり、主君が「もっと近う寄れい」と言っても、恐れ多く、進みたくても進めないというポーズを取るのだ。

馬に乗っている時の礼儀

他には馬に乗っている時の作法もあった。
自分より身分の高い武士と騎馬同士で会った時は、相手に道を譲るだけでなく、相手とすれ違う側の鐙(あぶみ)から足を外して、馬上からお辞儀をした。
これは「片鐙を外す」という作法で、鐙から足首を外すと不安定になるため、襲い掛かる事が出来なくなる。
そこに「貴方に敵対心はございません」という意味が込められているのだ。

ござる言葉はホントに使われていた?

テレビアニメ(るろうに剣心とか)やドラマなどの時代劇を見ていると「拙者、○×藩の誰それでござる」「それがしにも覚悟がござるぞ」「拙者とて、武士の端くれでござる」など、武士はやたらと「ござる言葉」を使っている。
しかし、実際にはこの「ござる言葉」は日常的に使われる話し言葉ではなかった

江戸の町には、参勤交代地方の武士が沢山集まっていた。
そして、同郷の武士同士は、普段はお国訛りで喋っていたのだが、その会話は、違う地域で育った武士には、ほとんど理解できなかったという。

事実、幕末の頃になっても、薩摩藩出身の武士と、長州藩出身の武士が会うときは、まったく言葉が通じない為、通訳が付いていた、などという程だ。
そこで、他の藩の武士と話すときは、誰が聞いても分かりやすいように、書き言葉に近い表現を「共通語」として用いていた。
それが「ござる」や「ござ候(そうろう)」といった言葉遣いだったのだ。


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