戦後の流通革命

戦後日本の流通革命

戦後日本の流通業界に起こった革命的な進化を、小売り業態の変化・多様性に着目して振り返る。
小売り業態の変化は、人々の生活スタイルをも激変させた。

流通革命で便利になった暮らし

戦後日本の小売業は、百貨店の再建と商店街の隆盛、スーパーの勃興とコンビニの躍進、ショッピングセンターの登場や安売り専門量販店の発展、と形態の多様化と主役の交代を伴いつつ変遷した。
背景には、所得水準の平準化、大量生産・大量消費社会の到来と消費の多様化、都市化、郊外化、情報通信技術の発達などの変化があった。
簡単に言えば、戦後の日本は“人が連絡を取りやすく”なり“人とモノが移動しやすく”なる事で“モノが買いやすく”なったわけだ。

変化が目まぐるしい流通業界

店舗数では大半を占めた小規模店舗だった、スーパーやデパートの台頭で、昭和60年代以降は急速に減少していった。
そのスーパーやデパートも、コンビニやネット通販の台頭で、現在では「お買い物」の中心的な地位から離れている。

多様化した「お店」の姿

戦後の日本では、濃密だった商店街の“人々の会話”は、無機質なレジの音に変わり、買い物の足は車へと変わっていった。
人々の生活の変化と共に、「お店」の姿も大きく変貌していった。

生活に密着した商店街

車を持たず、歩いて買い物に行く時代

戦時下の統制経済により、日本の商業従事者数は激減していた。
だが、戦後は外地からの復員者や工業からの失業者を吸収し、昭和26年(1951)には戦前並みの水準に回復していた。
とはいえ、昭和31年では、総店舗数の92.4%が4人以下の零細商店で、大きなスーパーやデパートは全くなかった
その多くは活気にあふれた商業集積地=商店街を自然発生的に形成していた。

顔見知りで成り立っていた商店街

人々は、近接して立ち並ぶ青果店・鮮魚店・精肉店などを渡り歩いて、必要なモノを買っていった。
発泡スチロールやラップなどの包装はまだなく、商品は店頭にそのまま並べられて、必要な分量だけ新聞紙などに包んでもらったりした。
価格も一応の目安は決まっていたが、「値切り」や「オマケ」を巡る交渉の余地は残されており、店員と客との間には、世間話を含めた会話が成立していた。
そこは前掛け・突っかけ姿で歩ける顔なじみの空間であり、濃密な人間関係が存在していた。

商店街の凋落

現在でも活気を維持する商店街・アーケードもあるが、スーパーなどの大型商店の台頭により、昭和50年代半ば頃から、商店街の数は減少傾向が続いている。
現在でも活気のある商店街は、都市部など人口密度の高い地域や、近隣に観光名所などを含み、商店街そのモノが「名所」と化している場所などが多い。

“お出かけ”はデパートへ

昭和30年前後から、鉄道始発駅に付設した電鉄系の「ターミナル型百貨店(デパート)」が続々と開店した。
人々は着飾って、繁華街のデパートに電車で出掛けていた。
キレイに陳列された高級品だけでなく、展覧会やファッションショー、バーゲンセールなどの催し物も、人々の心を躍らせた。

遊園地でもあった百貨店

屋上が、木馬・滑り台・電車・観覧車などを備えた小型の遊園地となっている百貨店もあった。
空高く掲げられたアドバルーンの広告は、それだけで子供たちの心を虜にした。
また、大食堂には、商店街にはない“ご馳走”がズラリと並び、屋上遊園ともども憧れの場所になっていた。
この様にデパートは、単なる買い物の場所ではなく、大人も子供も華やかな気分にさせてくれる「お出かけ」の場所だったのだ。

スーパーマーケットの盛衰

流通革命の旗手『紀ノ国屋』

昭和28年、東京の青山に日本初のスーパーマーケットとされる『紀ノ国屋』が開店し、日本の流通革命は始まった。
日本のスーパーマーケットは、以下の大きな4つの特徴を持つといわれる。

  1. 商品棚から客が商品を選び、レジで精算する「セルフサービス方式」
  2. 食料品から化粧品や衣料まで揃え、1店で全てが揃う「ワンストップ・ショッピング」
  3. 大量仕入れによる廉価購入によって低価格・大量販売を実現する「ディスカウント」
  4. 大量販売を推進する為の「多店舗展開(チェーンストア)」

以上が、日本のスーパーの大きな特徴である。
大量生産・大量消費社会に適したこの業態は、高度経済成長期に売上高を大きく伸ばしていった。

ダイエー1号店が昭和32年に開店

総合スーパーの雄・ダイエーは、昭和32年、大坂・千林駅前の1号店を皮切りに、全国規模で成長した。
昭和47年には、遂に三越を抜いて小売業売上高首位の座についた。

どんどん商品が安くなっていく

近年、ディスカウントはスーパーの専売特許ではなく、薬のマツモトキヨシ、衣料のユニクロ、100円ショップのダイソーなどが、「価格破壊」を競っている。
また、家電のコジマやヤマダ電機、ビックカメラなどの電化製品店も、小売業全体の売上高ランキングに浮上している。
これらの新興勢力にダイエーは圧されているのが実情である。

マイホームと車の普及

車によって郊外での生活が可能に

昭和40年代以降、日本のモータリゼーションは急速に進行した。
これには生活圏の広がりが大きく寄与している。
都会で働く労働人口の急激な増加に伴い、郊外に延びる私鉄沿線に比較的入手しやすい建て売り住宅や団地、マンションが次々に開発された。
不動産価格の高い都心では果たせなかった「夢のマイホーム」を実現する若い夫婦が増え、その郊外での生活によって、自家用車は日常不可欠な「足」となる。
このような核家族層をターゲットにして、この頃から、大規模な駐車場を備えた郊外型ショッピングセンター(SC)が登場する様になっていく。

車での買い物が当たり前の時代へ

昭和43年、ダイエーは大阪府寝屋川市に「香里ショッパーズ・プラザ」を開店させた。
これは京阪電鉄香里園疫からかなり離れた田んぼの真ん中にあり、400代分の駐車場を備え、都市銀行・証券会社を含めた50もの専門店が入店する複合施設で、それ以後に普及するマイカーを軸とした、新しいライフスタイルを支える事になる。

大型ショッピングセンターが全国展開

近年では、大型スーパーと大型量販店を核にして、多くの小型専門店や飲食店、なかには映画館まで同居するような、大型ショッピングセンターが多数展開されている。
これらは、大都市近郊住民のライフスタイルに密着する事によって、活気あふれる新たな形態の商業集積地を創出している。

より便利になる小売業

現金いらずのクレジット

現金不要、分割払い、、クレジットカードでの買い物は、現在では当たり前となっている。
このクレジットカードは、昭和30年代半ば以降、徐々に普及していった。
日本で最初に「クレジットカード」が発行されたのは、昭和35年(1960)3月の事。
発行元は、関東圏を中心に現在も多くの店舗を展開する丸井であった。
その後、緑屋(現・クレディセゾン)、丸興(現・オーエムシーカード)などが続き、3強を形成していく事になる。

基は家具屋だったクレジットカード

丸井は昭和6年の創業で、戦後は、家具の現金販売から営業を再開していたが、昭和25年12月に5カ月払いの割賦販売をスタートする。
以後業績は急上昇し、昭和45年1月期には売上高377億円を計上し、クレジット業界のトップに躍り出る。
カードという高級感が月賦のネガティブなイメージを払拭したのも要因の一つであった。
「割賦・クレジットカードによる販売額」全体の年間総額も、昭和35年の2059億円から、45年には4兆3030億円、平成14年(2002)には13兆8719億円と、およそ40年間で約67倍となっている。

カードの利点と短所

購入時点での所持金や貯蓄の額に左右されることなく、自由に商品を購入できるようになったという面では、非常に便利になった。
ただし、計画性のないカード乱用に起因する「カード破産」も社会問題化している。

自動販売機の登場

日本では、戦前にも菓子、煙草、切手などの自動販売機が存在していたが、一般的な普及はもちろん戦後になってからである。
昭和32年の「噴水型ジュース販売機」の登場で、爆発的な自販機ブームが生じる。
また、煙草の自販機は、昭和45年の5万500台から、平成15年には62万6200代へと増加する。

自動販売機大国・日本

コーラの日本史上への本格進出(昭和37年)、新100円、50円硬貨の発行(昭和42年)などを契機に、清涼飲料の自販機は昭和60年までに急速に普及した。
その数は昭和45年の1万6410台から平成15年の218万6900台へと、約133倍も増加した。
戦後の日本は「自動販売機大国」へと変貌したのだ。

深夜も営業・コンビニの登場

日本初のコンビニは、昭和44年に大坂で開店したマミー(マイストア)豊中店といわれているが、その後、昭和40年代末ごろから総合スーパーが相次いでコンビニ業へと乗り出す。
昭和49年にイトーヨーカ堂がセブンイレブン、昭和50年にダイエーがローソン、昭和53年に西友がファミリーマートを、それぞれ全国に展開する。

法規制を掻い潜って、スーパーがコンビニへ変形

その背景には、昭和49年施行の大規模小売店舗法(大店法)による、大型店出店への厳しい規則があった。
それまでの第2次百貨店法(昭和31〜49年)では、会社単位の規制で、スーパーは同一店舗内の各部門を分社化する事で規制を潜り抜けていた。
しかし、大店法では規制の単位が店舗となり、対応策の一つとしてコンビニ業への進出が図られたのだ。
また、通商産業省や中小企業庁が進めた、中小小売店近代化策も追い風となった。
セブンイレブンの1号店(東京・豊洲)が酒店からの業態転換であった事が、その事を象徴している。

始めは24時間ではなかったコンビニ

今では「コンビニ=24時間営業」というイメージが定着しているが、昭和50年6月に福島県郡山市のセブンイレブン虎丸店が始めたのが、日本最初といわれる。
その後、コンビニの増加に伴い、24時間営業を行う商店の数は増え続け、やがて24時間営業はスーパーにも波及した。

カタログ・ネット通販の登場

日本初の通販は明治時代から

日本における通信販売の歴史は意外に古い。
例えば三越の通販は、明治31年(1898)に、出張販売で獲得した地方の固定客に「地方卸注文の栞」を配布し、手紙による注文を受け付けた事に始まる。

戦後にカタログ通販が普及

通販が本格的に普及したのは戦後であった。
よく耳にする通販大手のうち、千趣会は昭和30年、日本直販は昭和36年、ニッセンは昭和45年に設立された。
ディノス(フジサンケイリビングサービス)は昭和46年、東洋物産(現・セシール)は昭和50年、シャディは昭和58年にそれぞれ通信販売を開始した。

テレビや雑誌でも通販が開始

カタログに加えてテレビ、ラジオも利用され、通信販売の媒体も多様化していった。
例えば、ディノスは昭和47年1月に「リビング4」「リビング11」をテレビ放映し、テレビショッピングを開始している。

ネット通販の登場

現代では、インターネットの急速な普及に伴い、ネットショッピングが当たり前となっている。
セシールをはじめ、カタログ通販が主だった企業も、競ってネット販売に参戦しているが、現在ではAmazonや楽天などの大手ネットショッピングモールに圧倒されているのが、実情である。


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