世界恐慌とファシズムの台頭

世界恐慌とファシズムの台頭

アメリカ・ニューヨークから始まった世界恐慌、世界各国は保護主義的な政策で、恐慌の乗り切りを図る。
しかし、日・独・伊は、経済基盤の弱さから国内の不満が高まり、ファシズム(全体主義)が台頭する。
ヴェルサイユ体制ワシントン体制の両体制による戦後の国際協調体制が崩壊してしまい、再び大戦が勃発する。

世界恐慌で、協調体制が崩壊

アメリカから恐慌は世界へ波及した

1920年代に空前の繁栄期を迎えたアメリカだったが、29年10月にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落すると、銀行や工場が次々と閉鎖される大恐慌へと発展した。
さらにアメリカの金融界が世界各国に投資していた資金を引き揚げた事などから、アメリカの恐慌は世界へ波及した。
特にドイツは深刻な打撃を受け、アメリカは賠償金などの支払い一時停止(フーヴァー・モラトリアム)を実施したが、事態は好転しなかった。

米・英・仏の世界恐慌対策

こうした状況の中、アメリカは大規模公共事業による失業者対策などニューディールと呼ばれる対策を講じた。
また、関税引き上げなど保護主義的な政策をとった為、アメリカに刺激されたイギリスフランスなどは、ブロック経済といわれる植民地など自国の勢力圏で経済圏を作った。
域外からの輸入に高い関税を掛けるなどの措置で、世界恐慌を乗り切ろうとしたのだ。
なお、この頃のソ連は、計画経済による独自の経済政策を進めており、世界恐慌の影響を受けなかった。
戦後、ソ連の共産主義体制を推進した国々は、ソ連の、表面的経済の屈強さに影響を受けたのかもしれない。

世界恐慌に追い詰められる日・独・伊

第一次世界大戦で植民地を失ったドイツや、元々経済基盤が弱ったイタリア日本などでは危機が深刻化していく。
軍需産業や対外侵略、国内統制の強化などでナショナリズムを高揚させ、危機を打開しようとするファシズムが国内で台頭した。

国際協調体制が崩壊、再び大戦へ

こうして、第一次世界大戦後に出来上がったヴェルサイユ・ワシントンの両国際協調体制は世界恐慌によって完全に消え去ってしまう。
各国は自国中心主義の政策を推し進めていく。
その結果、米・英・仏など広大な植民地を持つ国々と、ナチスが政権を握ったドイツ、ファシスタ党のイタリア、軍国主義が台頭した日本の3国との対立が深まる。
そして、世界は再び大戦へと突入する事となる。

日独伊でのファシズム台頭

ドイツのナチス台頭
1933年、ナチスが一党独裁体制を確立し、国際連盟から脱退する。
34年、ヒトラーが総統に就任、35年には、再軍備宣言を出し、ヨーロッパの緊張が高まった。
イタリアのエチオピア併合
イタリアは、1926年からムッソリーニ率いるファシスタ党政権による一党独裁体制にあった。
世界恐慌後の国内不満をそらす為、36年にエチオピアを併合する。
これに対して国際的な批判が高まり、イタリアは、国際連盟を脱退した。
日本の満州国建設
日本では、深刻な不況の中、軍部や右翼が勢力を拡大。
1932年、日本は満州国を建設するが、国連はこれを承認せず、33年に国際連盟を脱退。
36年の二・二六事件を経て軍国主義体制へと進んでいった。

日独伊三国防共協定の成立

国際的に孤立した日本・ドイツ・イタリアの三国は、1936年にベルリン・ローマ枢軸を結成。
同年、日本とドイツが日独防共協定を結び、翌37年にイタリアが加わり、日独伊三国防共協定が完成した。


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