ワシントン体制と日本の外交的孤立

ワシントン体制と日本の外交的孤立

第一次世界大戦中に、列強の隙を突き、アジア・太平洋地域で権益を拡大した日本。
国際連盟の常任理事国をも果たした日本の躍進を、アメリカが警戒。
アメリカはワシントン会議によって、日本への牽制を開始する。
アメリカの外交戦略によって、日本は権益の縮小を強いられたうえ、英国との同盟も破棄されてしまう。
これ以降、日本は急速に国際世界から孤立していく事になる。

ワシントン体制の確立

ワシントン会議でのアメリカの狙い

ヴェルサイユ体制と並んで、東アジアや太平洋地域での第一次世界大戦後の国際秩序を確立させたのが、1921年から22年に掛けて開かれたワシントン会議と、この会議で成立した一連の条約によるワシントン体制であった。
ワシントン会議を主催したアメリカの狙いは、同地域で高まる民族主義への対処や、懸案だった中国の門戸開放と同時に、太平洋地域で台頭してきた日本を牽制する事であった。

大国の隙を突いて権益を拡大した日本

1914年に第一次世界大戦が始まると、日本はドイツの租借地である中国山東省の膠州湾(こうしゅうわん)やドイツ領南洋諸島を占領した。
さらに、中国の袁世凱(えんせいがい)政権に21カ条要求を突き付けるなど、ヨーロッパ戦線に忙殺されている大国の隙を突いて、権益を拡大させていた。
さらに戦後は、国際連盟の常任理事国に就任するなど、列強の仲間入りを果たしたといえる。

日本に向けられたアメリカの牙

大戦により、存在感が大きく増したアメリカ

第一次世界大戦後のアメリカが、大戦で総力戦を展開したイギリス・フランスなどとの貿易により、強大な経済力を獲得していた。
大戦で疲弊したヨーロッパとは対照的に、世界最大の債権国となっていた。
また、アメリカの参戦が連合国の勝利に大きく貢献した事もあり、その国際的な発言力が高まっていた。
しかし、アメリカ国内には孤立主義が根強く、ヴェルサイユ条約の批推も、自ら創設を主導した国際連盟の加盟も議会によって拒否されていた。

四か国条約で得したアメリカ、損した日本

ワシントン会議の結果、アメリカは海軍軍縮条約によりイギリスと同等の海軍力を保有する事が認められた。
また、米・英・仏・日の間で太平洋諸島の現状維持を確認する四か国条約が結ばれた他、イタリアや中国などを加えた九か国条約で、中国に対する門戸開放や機会均等を確認した。

日本は大幅に弱体化してしまう

四か国条約の結果、1902年に成立した日英同盟は解消され、日本は外交的孤立に追い込まれる事になる。
さらに、九か国条約では日本がドイツから奪った山東省の権益をも返還する事になる。
アメリカの外交戦略によって、日本の権益は大幅に縮小してしまった。

なぜ、アメリカを日本を弱らせたのか?

アメリカにとって日本は、かつて自分たちが開国させてあげた、世界の端っこの小さな国であった。
その日本の急速な台頭はアメリカにとって厄介な問題であり、許せない存在でもあったのだろう。

アメリカの孤立主義?

アメリカ合衆国は、1776年の独立以来長い間、ヨーロッパの争い事に関わらない事が、自国の独立と繁栄を維持する最良の策である、との考えを持っていた。
よって、「孤立主義」を外交政策の柱に掲げていた。
しかし、それはあくまで「ヨーロッパからの孤立」であり、他の帝国主義列強と同様、対外進出は積極的に進めていた。


↑ページTOPへ