富国強兵

富国強兵による殖産興業と文明開化

維新後、明治新政府は世界情勢を知るにつれ、日本の遅れを思い知らされた。
海外から「真似」と嘲笑されながらも、欧米に倣った近代国家建設が始まる。
>> 文明開化の年表

急ピッチで進められたインフラ整備

「富国強兵」のスローガンのもと、近代国家建設を急ぐ明治新政府は、近代産業を保護・育成する殖産興業政策を推進した。
輸出の花形である製糸工場や軍備増強を担う軍需工場など、各地に官営の模範工場を設立。
また、旧幕府や諸藩所有の鉱山などを手に入れ、外国人技師を雇い、最新の設備を導入して近代化を進めた。

都市の近代化

また、産業・経済の流れをスムーズにするため、インフラの整備も急ピッチで進められた。
近代式郵便や電信などの通信網、鉄道や蒸気船などの交通網が全国に広がっていった。

政府主導の文明開化 大都市で洋風化が進む

幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の目には、丁髷に和装、裸にフンドシ姿の日本人は「時代遅れ」と映っていた。
外交の妨げになると判断した明治政府は、官礼服を洋服にし、断髪令などを出して庶民にも洋風化を推進した。

学制と暦の変更

1872年には、富国強兵の一環として、近代学校制度を定めた法令「学制」を公布し、義務教育の徹底を図った。
しかし、学校設立の負担などが民衆に伸し掛かり、反発も強かった。
また、同年には、それまでの太陰暦を廃して太陽暦を採用する。
旧暦1872年12月2日の翌日が1873年1月1日となった為、人々を混乱させた。

文明開化が地方に届くのは昭和

こうした政策に合わせ、西洋の文物が大量に流入した為、洋服や洋風建築、洋食など、人々の暮らしは大きく変化した。
しかし、こうした文明開化の波が広がったのは大都市に限られ、地方の農村に洋風生活が定着するのは昭和に入ってからの事である。

西暦出来事
1867年王政復古の大号令、新政府発足
1868年初のホテル開業(築地ホテル館)
1869年乗合乗馬開業(東京-横浜間)
電信開通(東京-横浜間)
1870年初の日刊新聞創刊
1871年郵便事業開始(東京-大阪間)
断髪令・廃刀令公布
1872年福沢諭吉著(学問のすすめ)発行
学制公布
鉄道開通(新橋-横浜間)
太陽暦採用
1873年キリスト教解禁
1874年初の雑誌創刊(明六雑誌)
1877年東京大学設立
銀座に煉瓦街が完成
1878年初めて電灯が点灯

↑ページTOPへ