縄文時代の舟と航海

縄文時代の舟と航海技術

水上を動く舟は陸路より移動が速く、更に沢山の荷物を運ぶ事が出来る。
この水上移動・水上輸送の利点に着目していた縄文人たちは、だけでなく、遠隔地交易にも舟を利用していた。
縄文遺跡からは丸木舟の遺構も出土している。

丈夫な木を刳り抜いて舟を作る

日本列島の河川や海沿いにある約70の遺跡から、漁労などに用いた丸木舟が現在までに160艘ほど発見されている。
特に琵琶湖付近では25例ほど確認されており、滋賀県米原市にある入江内湖遺跡では5艘の丸木舟が見付かっている。
縄文時代の舟は帆ではなく櫂を使ってい漕いでいた。
海でしか獲れないマグロの骨も出土している事から、丸木舟で海に出て漁を行っていた事が窺える。

約7500年前の丸木舟が出土

また、千葉県市川市の雷下遺跡では、2013年に国内最古となる約7500年前の丸木舟が出土した。
ムクノキを刳り抜いて作ったもので、全長は少なくとも約7.6メートルはあったとみられる。
他にも京都府舞鶴市の浦入遺跡では丸木舟と一緒に碇石や杭などが出土している。

「刳り舟」は100年以上、使えた

丸木舟はクスノキやケヤキ、クリなどの木を刳り抜いて作った事から「刳り舟」とも呼ばれる。
丈夫な木を用いたので、完成すると100年以上は使用できたという。
舟は陸路よりも速く移動でき、しかも大量の荷物を一度に運ぶ事が出来た。
その為、遠隔地との交易にも重宝したようだ。

大きな丸木舟は10メートル以上

丸木舟の全長は5〜8メートル、幅60センチ程度のものが多かった。
なかには全長3〜4メートル程度の小さな舟もあったが、一方で全長10メートル超の舟もあった。

交易が盛んだった日本海沿岸地域

四方を海に囲まれた日本列島において、海路は新たな文化や技術を吸収するのに欠かせない交通路だった。
特に交易が盛んだったのは日本海沿岸で、糸魚川産のヒスイ、新潟県や秋田県で産出されるアスファルト、和田峠産の黒曜石などが広まった。
一方で、伊豆諸島の神津島で採れた黒曜石が関東地方にもたらされるなど、太平洋側でも舟を使った交易は行われていた。

対馬〜朝鮮半島で舟の往来があった

ユーラシア大陸北方では、北海道との交流があった事を示す痕跡が見付かっているが、アジア大陸から人々が本州以南へ集団で渡ったという痕跡は殆どない。
その為、丸木舟がそのまま現在の中国沿岸部まで渡った可能性は低いが、一方で、朝鮮半島と北九州の間には漁の道具などで共通性がみられる。
また、対馬には日本列島の人だけでなく、朝鮮半島の人達も住んでいたようなので、大陸の文化や技術は朝鮮半島を経由して伝わったのではないだろうか。


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