国生み

国生みと北海道・沖縄

日本神話には、イザナギとイザナミの国生みによって日本列島が形作られたとある。
しかし、この時に誕生したとされる日本は、実は現在の日本とは形が異なる。
現在の本州(東北を除く)と四国、九州と近隣の諸島までしか日本に含まれていなかったのだ。
その理由を見てみよう。

現在の日本

現在の日本

イザナギとイザナミの国生み

最初に生まれた八島

国生みの際に生まれた島は、順に、「淡路穂狭別島(あわじのほのさわけのしま:淡路島)」、「伊予之二名島(いよのふたなのしま:四国)」、「隠伎之三子島(おきのみつごのしま:隠岐)」、「筑紫島(つくしのしま:九州)」、「伊伎島(いきのしま:壱岐島)」、「津島(つしま:対馬)」、「佐度島(さどのしま:佐渡島)」、「大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま:近畿広域・本州)」の八島である。

次に生まれた六島

そこからさらに「吉備児島(きびのこじま:児島半島)」、「小豆島(あづきじま:小豆島)」、「大島(おほしま:周防大島)」、「女島(ひめじま:姫島)」、「知訶島(ちかのしま:五島列島)」、「両児島(ふたごのしま:男女群島)」の六島が生まれた。

大八島国の図 神代正語常磐草

大八島国の図 神代正語常磐草
大昔の日本はこう考えられていた

北海道と沖縄は?

以上が、イザナギとイザナミの国生みによって誕生した、当時の日本とされる。
いうまでもなく、現在の我々が知っている日本の形と比べると、北海道や沖縄、更に東北までもが含まれていない事が分かる。
これにはもちろん理由がある。

何故、日本の形が違ったのか?

それは『古事記』が成立した当時、北海道や沖縄は「日本(倭国・大和)」には含まれていなかったのである。
正確に言うと、当時の大和朝廷(天皇家)の影響力が及んでいなかった地域、またはまだその土地が認識されていなかった地域は、「日本」の中に組み入れられていなかったのだ。
そもそも当時は、現在の様に正確な地図も無ければ、当然、人工衛星による宇宙から見た日本の形など分かる筈はなかった。
北海道や沖縄は海を挟む為、当時の大和朝廷の人々が知る由もなく、東北に関しては北方の為、未開発の地域でもあり、認知はしていたかも知れないが、その実態は良く分からなかったのだろう。

いつから日本が今の形になった?

東北が日本の一部へ

『古事記』によればヤマトタケルが父の景行天皇に東征を命じられているが、これはあくまで伝説上の話であり、実際には7世紀中頃から東北地方へ進出していった。
大伴弟麻呂や坂上田村麻呂ら、征夷大将軍に任命された猛将たちによって、東北地方へ支配拡大をしていったのだ。

北海道と沖縄も日本となる

北海道は15世紀頃からようやく本州の大名が支配に乗り出していったが、江戸の中頃になっても日本地図に描かれていなかった。
同様に、沖縄は15世紀に「琉球王国」として成立し、明(中国)や東南アジアとの貿易を得意としながら、独自の政権体制を築いていたのだ。
これらが正式に日本の一部となったのは、明治以降の事である。

現在でこそ、我々日本人が知っている日本の土地や、日本の歴史、日本人の財産や心、これらが出来上がるのにかなりの時間が掛かったという事。
だからこそ、我々日本人にとって、日本にあるモノは全てが大切な遺産なのである。


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