日本と旅(旅行)

日本と旅の歴史

現代において旅はレジャーであり、家族旅行や一人旅、車や鉄道や飛行機など、目的や移動手段を選ぶ事が出来る。
しかし、日本の歴史における旅とは、常に心身の厳しい試練や危険を伴うものだった。
文学・史料に残された旅の様子などを踏まえ、日本と旅の2千年の歴史を振り返る。

一遍上人絵伝 清浄光寺蔵

一遍上人絵伝(国宝)
清浄光寺(遊行寺)蔵

古代 生きる為の移動・旅

人類誕生以来、狩猟採集や牧畜農耕に適した土地を目指した旅は、生きる為に必要な移動であった。
古代の人々は動物を追い、木の実やキノコのある場所を探して歩き回っていただろう。
気候や季節の変化、天災等から身を守る為の移動もあった筈。
日本列島に人類が定住したのも「グレート・ジャーニー(地球を歩き回った)の果ての出来事。
縄文時代後期に大陸から稲作が伝来し、いくらか定住化が進むが、米などの農耕に頼り切るだけでは生きていけず、狩猟採集の「旅」は簡単には終わらなかった。

弥生・古墳 戦乱による兵役での移動

筑紫、壱岐、対馬などの防備にあたる為に東国(畿内など)から赴任した「防人(さきもり)」や、租庸調などの税を国に納める為に都に運んだ「運脚(うんきゃく)」など、命令や決まりに従って移動する旅もあった。
レジャーとして楽しむ旅とはほど遠いものだった。
ただし、日本列島を歩いて回れば、地域ごとの動植物や風情を多く見ただろう。
古代から旅に楽しみも存在した事は間違いない。

鎌倉〜戦国 信仰による旅

神社や寺への参詣や、修験者、僧侶の修行など、信仰を動機とした旅が始まる。
天皇は熱心に熊野に参詣し、主家して各地を放浪する「聖(ひじり)」も現れる。
ただ、庶民には「旅」の意識はなく、多くの人が生まれた土地で一生を過ごしていたようだ。

僧侶たちの旅

平安鎌倉時代には、全国を旅して修行・布教する僧が現れる。
なかでも、まさに一生を旅に明け暮れたといえるのが、時宗を開いた一遍だ。
10歳のときに伊予(愛媛県)で出家して以来、51歳で亡くなるまで行脚(あんぎゃ)を続けた。
その範囲は、東は東北から南は九州までと日本各地に及ぶ。
その他、栄西、法然、親鸞、道元、日蓮など、名だたる人物が、鎌倉、京都、博多などを行き来している。

江戸時代 観光旅行の時代へ

五街道や脇街道などの街道や宿場、港が整備された江戸時代になると、庶民レベルのレジャーとしての旅が生まれる。
信仰の為の伊勢参りや富士登山を大義名分に、各地に参詣する為の「講(こう)」が組まれ、美しい景色や各地の食べ物を楽しむようになる。
江戸時代260年の間に、「伊勢参り」は何度もブームを巻き起こした。
また、大名や武家にとって「参勤交代」や江戸詰は、定期的に江戸に上る重要な「仕事の旅」となった。

佐竹様江戸御登行列之図 参勤交代

佐竹様江戸御登行列之図 参勤交代のようす(千秋文庫蔵)

旅が日常だった人々

移動を常とする職能民、芸能民がいた。 彼らは技術をもって各地を回り、製品を作ったり、修理したりした「鋳物師」や「木地師」、各地の顧客を訪ねて商品を売り歩いた「薬売り」、楽器の演奏や歌で門付けして回った芸能者などだ。
旅なくしては仕事にならず、彼らにとっては、生きる事そのものが旅だったのだ。

江戸時代から人気になった温泉地

温泉が旅の目的地として一般的になったのは江戸時代からだった。
『東海道中膝栗毛』の続編『続膝栗毛』の第10編に草津温泉が取り上げられている事からも、その人気ぶりがうかがえる。
温泉地の開湯の伝承などに、空海や行基といった僧侶が登場する事も多く、温泉にも信仰との深い関わりがうかがえる。

団体観光旅行の始まり

信者と講と御師

伊勢以外にも、大山、富士山、出羽三山、金刀比羅宮などが参詣の対象となった。
信者で講を作り、旅費を積み立てて、代表がお参りに出掛けたり、何年かに一度全員で出掛けたりした。
また、それぞれの寺社には、道案内や宿の世話をするガイド役「御師(おし・おんし)」と呼ばれる人がいて、旅人たちを先導した。
現在の団体旅行の原型ともいえる旅のスタイルだった。
各所旧跡巡りも盛んとなり、各都市の「名所図会」や諸国の名産ガイドも発行された。

現代 自由なレジャーとなった旅・旅行

近代には鉄道、現代にはそれに加えて飛行機や自動車が重要な旅の足となる。
徒歩での旅から、座ったままで目的地に到達できる旅。
人々は、より広範な旅へ出掛ける事が出来るようになる。
移動手段だけでなく、旅の目的も多彩になり、敢えて時間を掛けて移動する旅、シルバー世代の旅や女子旅、宿坊や断食の旅など、それぞれの趣味やライフスタイル、予算に合わせて旅を楽しむ時代となった。

高輪海岸鉄道の図

鉄道の開通は、旅の姿を一転させると同時に、それまでの日本にはない新しい風景を誕生させた。
また、鉄道は移動手段としてだけではなく、それ時代た人々の楽しみとなった。

高輪海岸鉄道

高輪海岸鉄道

出典・参考資料(文献)

  • 『週刊 新発見!日本の歴史 21号 鎌倉仏教の主役は誰か』朝日新聞出版 監修:中西裕二

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