ヒトコトヌシ(一言主神)

ヒトコトヌシ(一言主神)

目次

ひと言しか語らない【寡黙】の神

21代雄略天皇と交友あり「記紀」に登場

ヒトコトヌシ(一言主神)は「記紀(古事記日本書紀)」に登場する日本の神。第21代雄略天皇と交友があった事で知られる。ひと言しか語らない神、寡黙という「日本人」の精神を現しているとも。記紀に系譜は記されていないが、『先代旧事本紀』では一言主神をスサノオの子とされている。葛城一言主神社(奈良県御所市)にて、幼武尊(雄略天皇)と共に、主祭神として祀られる。

コトシロヌシ(事代主神)とは無関係

その名前から、オオクニヌシ(大国主命)の子のコトシロヌシ(事代主神)と同一視されることもあるが別神である。混同しないよう注意。

【言葉の力】を司る神

古代より根付く日本人の言霊信仰

日本人の独特な観念として知られているものに「言霊」の信仰がある。
古代の人々だけでなく、普段は特別意識していない現代人にもその信仰は意外に根強く潜んでいるといわれる。

良い言葉を使い、悪い言葉は使わない、という信仰

例えば結婚式では「切れる」「終わる」といった破談を連想させる言葉は使わない、スルメを「あたりめ」、梨を「ありの実」と縁起のよい言葉に言い換えるといった験担ぎも、「言葉そのものに呪力がある」という言霊信仰からきている。

ヒトコトヌシが言葉を司っている

悪い言葉を使うと、本当に悪いことが起こってしまう、言葉が先にあるという発想なのである。
そうした言葉の力を司る神ともいえるのが、ヒトコトヌシの神だ。

21代雄略天皇との説話

人間の時代に登場するヒトコトヌシ

ヒトコトヌシは、記紀神話では多くの神々が活躍する神代の時代ではなく、人間の時代に移って世代を重ねた21代雄略天皇の治世に登場する。『古事記』の下つ巻に登場するのが初出となる。

雄略天皇の一団とそっくりな風貌の一団が現れる

雄略天皇4年(460年ごろ)、雄略天皇が鹿狩りのため、多くの官人を引き連れて葛城山を登っていたときのことだ。谷を隔てた向かいの尾根に、雄略天皇の行幸行列と衣装(紅紐の付いた青摺の衣)から何からそっくりそのままの行列が登るのがみえた。

怒りの雄略天皇に、その正体を明かす神

雄略天皇が「大和の国には私以外に王などいない。お前は一体誰なのだ」と問うと、相手も全く同じように問い返す。天皇は怒りながらも重ねてその名を問うと、相手は「私は凶事もひと言、よいこともひと言で決する託宣の神、葛城のヒトコトヌシの神である」と正体を明かした。

天皇が神に献上品を捧げる(神の方が偉い)

これを聞いた天皇はかしこまって拝礼し、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせてヒトコトヌシに差し上げるなど、多くの献上品を捧げた。
神もこれを受け、天皇が山を下るときには自ら山裾まで見送ったという。

史書(年代)により違うヒトコトヌシの地位

古事記では【天皇よりヒトコトヌシの方が偉い】と描かれる

上記の雄略天皇がヒトコトヌシに献上品を捧げるという話は『古事記』によるエピソードである。この天皇と神との上下関係(神の方が上位)は、史書、およびその年代によって違いがあるようだ。

日本書紀では【天皇とヒトコトヌシが対等】な関係に

『日本書紀』では、雄略がヒトコトヌシに出会う所までは同じだが、自ら「現人の神」だと名乗り、その後共に狩りをして楽しんだと書かれており、つまり、天皇と神とが対等に近い立場となっている。

続日本紀では【天皇の方が偉い】と立場が逆転

797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、ヒトコトヌシ(高鴨神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。
つまり、完全に【ヒトコトヌシより天皇の方が偉い】という話になっている。
これは、ヒトコトヌシを祀っていた賀茂朝臣氏(かものあそんうじ)の地位が低下したためではないかと考えられている。

人間(呪術者)に仕える立場とされたヒトコトヌシ

822年の『日本霊異記』では、ヒトコトヌシは役行者(呪術者:賀茂氏の一族)に使役される神にまで地位が低下している。その役行者は699年に伊豆国に流されているが、その理由は、不満を持ったヒトコトヌシが朝廷に讒言したため、とされる。
最初は天皇より偉かったのに、極めて低い立場になったものだ。

葛城一言主神社〜ひと言で願いが叶う

何事もひと言で言い放つ強大な霊力

古代の人々にとっては、神のお告げは大変重い意味をもつもので、ヒトコトヌシは何事もたったひと言で言い放つ強大な霊力を持った神として時の天皇にさえ畏れられ、同時に敬われていたのである。

ひと言で願いを伝えれば何でも叶えてくれる

ヒトコトヌシ信仰の総本社である葛城一言主神社では、祭神は「いちごんさん」として親しまれ、ひと言で願いを伝えれば何でも叶えてくれる神徳篤い神として、全国各地から願掛けに訪れる参拝者がある。

葛城一言主神社(奈良県御所市)<
創建は不詳。社伝では、現鎮座地は一言主神が顕現した地とする。雄略天皇が葛城山で狩りをしている際に出会った神・ヒトコトヌシが主祭神で、葛城山東麓に東面して鎮座している。境内には神武天皇の土蜘蛛征伐伝承に基づく蜘蛛塚が伝わる。
  • 所在地:奈良県御所市森脇432
  • 主祭神:葛城之一言主大神、幼武尊(雄略天皇)
  • 創建:不詳
  • 例祭:4月5日・9月15日

土佐神社〜流された一言主を祀る

土佐に流されたヒトコトヌシを祀る神社

高知県高知市一宮にある土佐神社にもヒトコトヌシが祀られている。 『続日本紀』でヒトコトヌシが土佐国に流されたと書かれており、流されたヒトコトヌシは、土佐において最初は「賀茂之地」に祀られ、後に「土佐高賀茂大社」(現在の土佐神社)に遷祀された。
ただし、土佐神社に祀られているのはアジスキタカヒコネ(味鋤高彦根神)という別の神様であるとする説もあり、現在は両神ともに主祭神とされている。

  • 所在地:高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
  • 主祭神:一言主神、味鋤高彦根神
  • 創建:雄略天皇4年
  • 例祭:8月25日(志那禰祭)

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