
「太陽の昇る方向」を意味するオリエントとは、古代ローマから見て東方にある世界を指す。
紀元前7世紀前半から前330年頃、メソポタミアとエジプトの2つの文明がまとまり、オリエントを統一した「世界帝国」が誕生した。
古代オリエントを統一した二つの帝国、アッシリアとアケメネスは、後世の帝国に大きな影響を与えた。
>> オリエントの統一年表
アッシリア人は、チグリス川上流のアッシュールを拠点にしていた商人で、一時期ミタンニ王国の下に隷属していたが、独立を勝ち取って軍事国家を作り上げた。
前9世紀には鉄製兵器を装備した軍事力で領土の拡大を始め、シリアからバビロニア、アナトリア、パレスチナと進軍した。
さらに、前7世紀前半にエジプトを制圧してオリエントを統一、最初の「世界帝国」を実現した。
アッシリア帝国は広い領土に多くの異民族を服属させていた為、支配力の維持には様々な政策を必要とした。
また、異民族の宗教を否定し、反乱を抑える為に大規模な強制移住を実行した。
最盛期のアッシュール・バニパル王の時代にはエジプトのテーベまでも攻略したが、重税と強制移住が被征服民の反乱を招き、前612年に滅亡してしまう。
その後は、エジプト、リディア、新バビロニア、メディアの4つの王国へと分裂した。
次にオリエントを統一したのはアケメネス朝ペルシアである。
インド・ヨーロッパ語系のペルシア人は、4つの王国分立の時代、メディア王国の支配下にあった。
前550年頃、メディアを滅ぼしたアケメネス朝は、リディア、新バビロニア、エジプトの3王国を次々と征服し、ダレイオス1世の時代にはエーゲ海からインダス川に至る「世界帝国」を築いた。
アケメネス朝の政策は、アッシリアと違い、兵役と納税を果たす事を条件に、異民族に自治と信教の自由を与える寛容なものだった。
ダレイオス一世は、全領土を20余州に分け、各州にサトラップ(総督)を任命して徴税と治安維持にあたらせた。
また現在の国道にあたる「王の道」の建設など、交通網を整備している。
同時に貨幣を発行し、交易を保護した。
帝国の支配は200年以上続いた。
しかし、ギリシアのポリス連合と戦ったペルシア戦争で敗北、衰退の兆しを見せ始める。
そして、前330年アレクサンドロス大王の東方遠征で滅亡した。
紀元前 | 出来事 |
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前7世紀前半 | アッシリア帝国がオリエントを統一 シリアやバビロニア、アナトリア、パレスチナ、エジプトまでを制圧する。 |
前612年 | アッシリア帝国が滅亡 圧政により、民衆の反乱を招いてしまった。 エジプト、リディア、新バビロニア、メディアの4つの王国へと分裂 |
前550〜前330年頃 | アケメネス朝ペルシアがオリエントを統一 |
前500〜前446年頃 | アケメネス朝がペルシア戦争でギリシア連合に敗北 |
前330年頃 | アレクサンドロス大王軍に攻められ滅亡 |