イスラム帝国

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イスラム教に則ったイスラム帝国

750年、ウマイヤ朝を破り、アッバース朝が成立した。
アッバース朝は、全てのムスリムは平等というイスラム本来の理念から、アラブ人の特権を廃止した。
さらに、国際商業を発達させ、イスラム教の理念に則った他民族・多文化の世界帝国を樹立する。

アッバース朝で、イスラム教の理念が実現

アッバース朝革命

750年、イスラム教の開祖ムハンマドの叔父の子孫である、アッバースがウマイヤ朝を倒し、アッバース朝が成立する。

すべてのムスリム(イスラム教徒)は平等

アッバース朝はウマイヤ朝時代の支配階層であったアラブ人の特権を廃止した。
改宗した異民族にも課せられていたジズヤ(人頭税)を異教徒のみとして、全てのイスラム教徒を平等に扱った。
ここにおいて、神(アッラー)の下での平等を説くイスラム本来の統治理念が実現し、真の意味でのイスラム帝国が成立する事となった。
アラブ人を特別視していたウマイヤ朝では、「イスラム」帝国とは言えないのだ。

イスラム帝国の最盛期

アラビアン・ナイトに描かれたイスラム帝国

アッバース朝は、8世紀末から9世紀の初頭のハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎える。
有名な「アラビアン・ナイト」は、この時代を舞台にした話が多い。
イスラム商人がアジアやヨーロッパ、アフリカの各地を巡って盛んに交易を行っていた様子が描かれている。

首都から帝国全土まで、交通・通信網が配備

首都は第2代カリフのマンスールが762年に建設を始めたバグダッドで、円形の城壁で囲まれた地域を中心に繁栄した。
人口は150万人を数え、唐の長安と並ぶ大都市かつ国際都市であった。
このバグダッドを中心にして、帝国全土へ通じる交通路が整備され、広大な帝国を統治する為の情報通信網としても活用された。

多くの民族と文化が融合した世界帝国

イスラム教の理念に則った統治を行ったアッバース朝は、アラブ人以外の民族も官僚や軍人として積極的に登用した。
後にイスラム世界の覇者となるトルコ人マムルーク(軍事奴隷)として活躍し始めたのも、この時代だ。
また、アッバース朝では国際商業の発展を背景に、数学を始めとする科学が発達し、その水準が同時代のヨーロッパをはるかに上回っていたという。

イスラム帝国時代の各地の王朝

イスラム帝国(アッバース朝)(750〜1258年)
アッバースがウマイヤ朝を倒して成立。10世紀半ば、ブワイフ朝に実権を奪われて以後は、宗教上の権威を維持するのみとなった。
後ウマイヤ朝(756〜1031年)
イベリア半島を支配。首都コルドバは西方イスラム世界の中心として繁栄した。ここで多くのアラビア語文献がラテン語に翻訳され、中世ヨーロッパの分化に大きな影響を与える。
イドリース朝(789〜926年)
第4代正統カリフのアリーの子孫がアッバース朝への反乱に失敗した後、モロッコに逃れ、ベルベル人の支持を得て建国。
サーマン朝(874〜999年)
中央アジアおよびイラン東部を支配したイラン系王朝。首都ブハラはイラン・イスラム文化の中心となり、イブン・シーナーなどの知識人を輩出した。
ファーティマ朝(909〜1171年)
イスマーイール派(シーア派の一派)の王朝。アッバース朝に対抗し、ムハンマドの娘ファーティマの子孫と称するカリフを建ててチュニジアに建国。エジプト・シリアを征服して首都カイロを建設した。
ブワイフ朝(932〜1062年)
イラン西北部で建国したシーア派王朝。946年、バグダッドに入城し、アッバース朝より実権を奪うが、カリフの権威は認める。

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