西暦610年ごろ、商業が盛んになったアラビア半島で、預言者ムハンマドがイスラム教を唱える。
イスラム教は瞬く間にアラビア半島の全域に広がって行き、現在でも世界宗教の一つとして数えられる程の多くの信徒を持つ宗教である。
6世紀の西アジアでは、ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの対立が激しくなり、ペルシアから地中海へ抜ける東西交易ルートが衰退していた。
代わって利用されるようになったのが、アラビア海から紅海を経て、パレスチナ、地中海へと抜けるルートで、このルートがあるアラビア半島西岸にはアラブ人が住み、メッカやメディナが新しい商業都市として急成長を遂げていた。
メッカの名門氏族の家に生まれたムハンマドは、610年頃に自らを唯一神アッラーの掲示を受けた預言者であるとして、アッラーへの帰依を説いた。
当初、その教えにしたがう者は少数に留まり、ムハンマドらは迫害を受けた為、622年にメディナへ移住した。
これをヒジュラ(聖還)という。
イスラム暦ではこのヒジュラがあった622年を紀元元年とする。
ムハンマドはメディナの住民をイスラム教に改宗させ、ウンマと呼ばれる宗教共同体を造り上げた。
そして630年にメッカを征服、翌年にはアラビア半島のほぼ全域を影響下に置いた。
その後、イスラム教徒による帝国は北アフリカやペルシアなどを征服し、急速に版図を拡大する。
イスラム教は、唯一神アッラーへの絶対的な服従を義務付け、全てのムスリム(イスラム教徒)は、アッラーの前では平等であるとする。
また、キリスト教などと違い、神と信徒を仲介する聖職者は存在しない。
アッラーの言葉をまとめたとされるのが「クルアーン」で、イスラム法は、この「クルアーン」とムハンマドの言行(スンナ)などに基づいている。
イスラム法はムハンマドの死後体系化され、7〜8世紀に確立した。
イスラム法は、ムスリムにとって義務である六信五行のほか、社会や国家の在り方も規定している。
そのため、現在でもムスリムの生活規範や多くのイスラム国家の法律は、イスラム法に則っている。
イスラム教徒に義務付けられている6つの信仰と5つの行い。
六信 | 五行 | |
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神(アッラー) | 信仰告白 | アラビア語で「アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒なり」と唱える。 |
天使 | ||
啓典(クルアーン) | 礼拝 | 1日5回、メッカの方向へ祈る。 |
預言者(ムハンマド) | 断食 | 断食月は日の出から日没まで飲食をしない。 |
来世 | 喜捨 | 財産に応じて貧しい者に施す。 |
天命 | 巡礼 | 一生に1回は聖地メッカへ巡礼に行く。 |