ヨーロッパ中心の世界を生んだ大航海時代【15世紀末〜18世紀末】
マルコ・ポーロの「東方見聞録」などに描かれた東洋の富に憧れを抱いたヨーロッパ諸国。
彼らは、オスマン帝国が支配する陸路ではなく、大洋を渡って直接アジアを目指した。
十字軍やレコンキスタ(イベリア半島の再征服)など、様々な形で膨張の動きを見せていたヨーロッパ諸国。
15世紀後半以降、東洋の富に対する憧れや当時貴重品だった香辛料を直接入手する為、次々と探検航海を試みるようになった。
当時、ルネサンスを迎えていたヨーロッパでは、天文学や地理学の発達に加え、羅針盤の実用化などにより、大航海時代を支える技術的な下地も整っていた。
大航海時代の最初の主役となったのは、レコンキスタによりイベリア半島をイスラム勢力から奪還し、さらなる領土拡大を狙っていたスペインやポルトガルの王家であった。
特にポルトガルのエンリケ航海王子は、領土拡大に加え、アフリカ内陸にいるといわれたキリスト教徒の伝説の王プレスター・ジョンと結んで、北アフリカのイスラム勢力を狭撃するという目的からアフリカ西岸の探検を推進した。
エンリケの死後もポルトガルではアフリカ西岸探検が続けられ、1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰(きぼうほう)に到達。
次いで98年にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回り、インド西岸のカリカットに到達して香辛料をポルトガルに持ち帰った。
一方、こうしたポルトガルの活動に刺激されたスペインでは、イサベル女王が西回りでのインド到達を目指すコロンブスを支援する。
1492年、コロンブスは大西洋を横断して現在のサン・サルバドル島に到達した。
彼はその後、3度に渡り同地を探検したが、最後までそこがインドの一部であると信じていた。
また、スペイン王の援助を受けたマゼランの艦隊は、1519年に西回りの公開に出発し、太平洋を横断してフィリピンに到達する。
22年に帰港し、初の世界一周に成功した。
これらの航海の結果、大西洋、インド洋、太平洋を結ぶ新たな交易ルートが開拓され、それまでの地中海交易に変わって繁栄するようになった。
また、こうした交易ルートの開拓は、世界の各地域を、ヨーロッパを中心とした地球規模の分業体制に組み込んでいく切っ掛けとなった。
コロンブスは、地球球体説に基づいてイタリア人トスカネリらが作成した地図を信じ、西回りでインドを目指す航海に旅立った。
この地球球体説は、紀元前6世紀頃にギリシアのピタゴラス学派によって最初に唱えらえたもので、航海者や商人の間では早くから受け入れられていたようだ。
しかし、この説が実際に立証されるのは、1522年にマゼランの艦隊が世界一周航海に成功し、スペインに帰港する事を待たなければならなかった。
地球が丸い事を証明する為に、なんと1000年もの月日が必要だったのだ。