ゲルマン民族大移動とフン族

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ゲルマン民族と西ローマ帝国の滅亡

4世紀頃、アジアの遊牧民族のフン族に押され、ゲルマン人の一派であるゴート族が南下。
これによって、ゲルマン民族が西ローマ帝国内に大移動し、結果として帝国は滅亡してしまう。
その後、ヨーロッパでは、ゲルマン民族らによって、多くの国が築かれる事になる。

北方からゲルマン民族が移動してくる

西ローマ帝国を滅亡に導き、中世ヨーロッパ世界の幕を開く契機となったのが、ゲルマン民族の大移動である。
古代ローマの歴史家タキトゥスの「ゲルマニア」のよると、ゲルマン民族は、バルト海沿岸地方を原住地としていた。
ゲルマン民族は紀元前後には既に、ライン川・ドナウ川の北方にまで居住地を拡大していたとされる。
その一部は、紀元後3世紀ごろになると、人口増加による土地不足から、傭兵やコロヌスと呼ばれる小作人としてローマ帝国内に移住し始めていた。

フン族の西進により、ゲルマン民族の移動が加速

この動きを一気に加速させたのが、北アジアの遊牧騎馬民族であるフン族の西進であった。
375年、フン族は黒海北岸に侵入し、東ゴート族(現ウクライナ東部)を支配下に置くと共に、西ゴート族(現ルーマニア)も圧迫する。
翌年には西ゴート族はドナウ川を越え、ローマ帝国内に移動した。

ゲルマン諸国家と西ローマ帝国の滅亡

移動して来た民族によって、多くの国が築かれる

移動した西ゴート族は、やがてイタリア半島に進出する。
これを受け、西ローマ帝国はイタリア本土防衛の為、国境守備についていた軍隊を呼び戻した。
しかし、これによって帝国国境地帯の防衛網が手薄になり、多くのゲルマン諸部族が次々にローマ帝国内に移動してくる結果となった。
この時期に大移動を行った民族には、後に大王国を築いたフランク族の他、北アフリカに建国したヴァンダル族、ガリア中部に建国したブルグンド族、北イタリアに建国したランゴバルド族、ブリタニアに建国したアングル族サクソン族などがある。

帝国の滅亡

一方、相次ぐゲルマン諸国家の成立により、西ローマ帝国は急速に弱体化する。
そして、476年、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルによって皇帝ロムルス・アウグストゥルスが退位させられ、滅亡した。

フン族とは?

ゲルマン民族大移動の切っ掛けとなったフン族とは、一体どこから来たのか?
現在、最も有力視されているのは、モンゴル高原を中心に活躍した匈奴(きょうど)の子孫という説だ。

匈奴とは?

匈奴は、中国の秦や漢を脅かした遊牧騎馬民族であった。
匈奴は西暦48年に南北に分裂し、南匈奴は次第に中国化したが、北匈奴は中国化せず、たびたび中国を脅かしていた。
しかし、91年には後漢・南匈奴の連合軍に敗れ、モンゴル高原における匈奴の国家は滅亡してしまう。
その残党の一部が西方に逃れ、フン族になったのではないかといわれている。

匈奴であるという論拠

この説の根拠は複数ある。
両者の生活様式や風習が同じである事、匈奴の西方移動とフン族が中央アジアに出現した時期が一致する事、さらには北魏の歴史を記した「魏書」の中に、アッティラやその子孫が「匈奴」と記されている事などだ。
また、匈奴の古い中国語読みが「フンヌ」であり、フンが同じ発音である事から、比較的、信憑性は高い。


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