儒教 孔子の教え

儒教 孔子の教え

中国で最も尊敬されている賢人の1人である、孔子が説いた思想が儒教として伝わっている。
儒教は、今もなお中国の分化と密接なつながりのある宗教である。
中国の政治理念・思想・文化の基調となり、周辺のアジア諸国にも2000年以上にわたって強い影響を与えた。
>> 儒教年表

儒教のおこり

儒教の下になった教えは、孔子以前からあるもので、古代中国の最古の王朝である殷(いん)王朝(?〜紀元前1027or1111年)の朝廷で支持されていた。
しかし紀元前6世紀頃には弱体化しており、帝国が分裂するなどの不安が社会を襲ったという。
そこで、当時の学者らが、社会秩序を取り戻すための方法を模索するようになった。

孔子の死後、弟子たちが儒学を広める

孔子も、その時代の学者の1人であった。
孔子の教えは、最も多くの支持を得て、没後にはさらにその名声が高まった。
弟子たちが孔子の死後に儒教の経典となる書物を基に、思想を中国全土に広めていった。

五経と論語の成立

その過程で、いわゆる「五経」などの教典や、孔子の教えを要約した「論語」が成立する。
その後、漢王朝(紀元前202〜220年)は孔子の思想を積極的に取り入れ、王朝の需家たちによって、現在の儒教の下となる宗教としての儒教の形が作られていった。

孔子の教え

中国で現在も尊敬されている孔子の教えが根本にある。
孔子は善意、人間性、慈愛を意味する「」を教え、「他人を愛し、敬え、勤勉であれ、伝統を尊重せよ」と説いた。
教えは道徳的なものであると共に宗教思想でもあり、自らの考えは天に由来するというものだ。

また、孔子は天界と人間界の双方を支えるものは、「」と「」の2つの基本的原理からなる宇宙であると考えた。
宇宙の力は火、木、金、水、土の五行で表し、これらのバランスが人生の調和に影響をもたらすとする。
バランスを重視する姿勢は「己の欲せざるところは人に施すなかれ」という道徳原理に結実している。
※自分がしてほしくない事は、他人にもしてはいけない。という意味。

弟子たちは「仁」の価値を強調し、精神的、霊的に調和した状態に達する為には、日々の行いにおいて節度を保つように心がけ、激しい感情に翻弄されてはならないと教えた。
伝統を尊重せよという思想が、中国にもとからある天への崇拝と一体化した祖先崇拝を支えたといえる。

儒教の道徳と法

儒教では2つの手段「」と「」により調和を達しえると説く。
※「理」とは儀礼や儀式、「仁」とは慈愛に満ちた行為
儒教には家族関係に調和をもたらす為の、家族を中心にした価値観がいくつもある。

儒教における親子の在り方

なかでも重要なのが、子の孝行である。
子は親を敬い、常に目上の人に従って生きるべきだと説く。
とはいえ、孔子自身は家族の価値観を相対的なものと見なした。
子は親に従うべきだが、親も子を支えるべきだというものである。

儒教における国家の在り方

また、孔子は調和がとれた家族こそが国家の基礎であり、根本であると説いた。
為政者は神を敬う必要があり、民は為政者を敬う必要がある。
為政者に対して、理と仁に従う教養豊かで洗練された人物である事を期待すると共に、社会を構成する民に食料を供給する農夫はせっせと働き、国家の福利に貢献すべきとされた。
1913年に提案された中華民国憲法は、こうした孔子の倫理を中核に据えている。
また、現在もアジア諸国にこうした儒教の影響は色濃く残っている。

儒教の伝統と文化

中国の1年には多くの祝祭が織り込まれているが、多くは儒教に由来するものではなく、道教の影響が濃厚に反映されている。
儒教は倫理と行動に重きを置いているため、現在は儀礼を重視する傾向が薄いためだ。
皇帝の礼拝という点では、皇帝が天と自分の調和した関係を維持し、自らが政を行うのが天命であると確認する為、特定の捧げものをする事が含まれていた。

皇帝は天を敬い、民は祖先を敬う

皇室の儀式は帝政の廃止とともに終焉したが、北京にある「天壇」はこういった儀式が行われた時代の面影を残す代表的な建造物だ。
また、皇帝が国家行事として天を敬うように、民衆は祖先を礼拝した。
地上の世界と不死の者たち、すなわち神の領域の調和を維持する一つの方法として考えられた為だ。

儒教の儀礼が、現代人にもたらすもの

祖先崇拝には儒教の重要な価値観である、目上の人々を敬い、親に孝行する大切さを思い出させるという道徳的な効用もあった。
また、結婚も家族の調和を育むための儀礼として重要視される。

日本のおける儒教

日本では儒教は学問(儒学)として受容され、国家統治の経世済民思想帝王学的な受容をされたため、仏教や、神道に比べても、宗教として意識されることは少ない。

儒教年表

西暦出来事
BC552年 孔子誕生
BC479年 孔子が亡くなる
BC400〜300年 儒学の思想が弟子たちによって整理される。
BC298〜238年 荀子(じゅんし)によって孔子の思想が整理される。
BC221〜201年 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)の時代。儒学が弾圧される。
BC206〜AC220年 漢王朝。孔子と荀子の思想が組み合わされ、宗教としての儒教が完成される。
BC136年 漢が儒学を国教化。五経博士を置く。
960〜1279年 朱子学が起こり、思想がより洗練される。
1392年 明王朝が朱子学を官学とする。
19世紀 儒教に対する批判が起こる。太平天国の乱などの発生で各地の孔子廟が瓦解される。
1910年代 知識人による新文化運動。儒教排斥がますます盛んになる。
1949年 中華人民共和国が建国され、後の文化大革命で儒教が弾圧される。
2005年 孔子を中国が高く評価。儒教の価値が見直され始める。

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