仏教

仏教の歴史

日本人にも馴染みの深い仏教とは、どの様な宗教なのか。
今から約1400年以上も昔、日本に伝来し、多様に変化していく歴史をみていく。

古代インドの釈迦の教えを説いた宗教

仏教は古代インドの釈迦(しゃか:ゴータマ・シッダールタ)によって開かれた、“世界三大宗教”の一つに数えられる代表的な世界宗教である。
仏教の中では目覚めた人、悟りを開いた人を“ブッダ”と呼ぶ。
そして、ブッダとは開祖である釈迦を指す事が多い。
つまり、釈迦の教えを信仰する宗教が仏教という事になる。
具体的には、ブッダ(この場合は釈迦の事)の説いた教えを信仰する手段であったり、もしくは、修行する信者が自らブッダになる為にはどうすれば良いのかという方法を説いた教えと言う事が出来る。

アジアを中心に広く信仰される

現在、仏教の信徒は、全世界に約4億人といわれる。
三大宗教の中では最も少ない信徒の数ではあるものの、東アジアや東南アジアに伝播し、広く信仰されている。
そして各地域に華やかな仏教文化が開花した。
建立された寺院や、信仰の対象として造られた仏像や仏画は、今日に至るまで優れた芸術品として讃えられている。

日本では非常に仏教とが多い

日本にも仏教の信者は多い。
朝鮮半島(百済)を経由して6世紀に伝来すると、飛鳥時代奈良時代に掛けて、天皇や皇族、有力な豪族などが寺院を建立して仏教を庇護した。
当初は権力者の間での信仰が主だったが、平安時代から鎌倉時代に民衆に教えを説いた法然や日蓮などの布教によって、多くの信者を獲得するに至った。
日本の伝統文化や生活習慣にも仏教の影響は顕著である。

発祥地インドは現在、ヒンドゥー教徒が多い

アメリカやヨーロッパにも、仏教の宗教観を支持する人は少なくない。
なお、発祥の地がインドであるにも関わらず、現在のインドではヒンドゥー教徒が多くを占め、仏教を信仰する人は極めて少ない数に留まっている。

仏教には文派が非常に多い

仏教は歴史の流れの中で極めて多様化している。
大きく分けて上座部仏教と大乗仏教、さらに密教へ続く流れがあるが、そこからさらに細分化されており、宗派も非常に多いため、なかなか全体像が掴みにくい。

創始者 釈迦

裕福だった幼少時代を過ごす

仏教は“ブッダ(覚者)”となった釈迦の生涯を抜きには語れない。
釈迦ことゴータマ・シッダールタは、紀元前5世紀頃(紀元前6世紀とする説もある)に、インドで生まれた。
小部族・シャーキャの国の王子として、幼い頃から何一つ不自由する事なく過ごしていた。
しかし、その生活に疑問を持ったシッダールタは、29歳にして全てを捨てて出家する。

自らを苦行に置き、悟りを開く

シッダールタは約6年に渡って求道の日々を送っており、シッダールタが取った行動は、苦行に身を置く事であった。
例えば断食を繰り返すなど、自らの身を傷め付けるまで、悟りの境地へ至ろうとした。
しかし、満足の行く結論は中々出る事もなく、時間ばかりが過ぎていった。
そして、シッダールタは菩提樹の下で思索の日々を送った。
ある日、数々の誘惑に打ち勝ち、煩悩を消し去る事に成功し、35歳の時、遂に悟りを開いた。
シッダールタが“ブッダ”となった瞬間である。

自身の悟りを人々に伝える

そして、釈迦は自らが悟りへと至った道(成道)を多くの人に説くようになった。
サールナートの地で初めて説法(初転法輪)を行うと、釈迦の説法を聞こうと多くの人が列を成したといわれる。
釈迦は入滅(生死を超越した境地に入る事、高僧が死ぬ事)まで、実に45年に渡って各地を歩きながら、自らの教えを説いて回ったのである。
その過程で釈迦を慕い、信仰を求める人達が集まり、次第に仏教教団が形成されていった。

仏教の聖地 八大仏跡

現在、インドには仏教の聖地とされ、今なお多くの信者が巡礼に訪れている場所がある。
それらはいずれも釈迦が生まれ、求道や布教を行った所縁の場所であり、主要な8カ所が“八大仏跡”と呼ばれている。

  1. ルンビニー(生誕)
  2. ブッタガヤー(成道)
  3. サールナート(初転法輪)
  4. クシーナガル(入滅)
  5. ラージギル(王舎城跡、竹林精舎跡)
  6. ヴァイシャーリー(広巌城跡)
  7. サヘート・マヘート(祇園精舎跡・舎衛城跡)
  8. サンカーシャ(仏陀が天界に3ヶ月間過ごし、亡くなった母に説法した後、帝釈天と梵天と一緒に梯子から降りて来たという)

十大弟子によって、釈迦の教えた後世に伝わった

布教の過程で集まった弟子のうち、十大弟子のように釈迦の入滅後、教団の発展に大きな影響を与えた人物もいる。
彼らは、王舎城において釈迦の教えを継承する取り組みを行った。
後の世に教えは仏典として編纂され、人々が仏典を通じて教えに触れる機会が生まれた。
仏教が現在まで支持を集めているのは釈迦の教えを後世に残そうと努めた弟子たちの努力が在った。

仏教の歴史

仏教は釈迦が説いた教えであるが、アジア各地に広がり、今日まで信仰されている背景には、弟子たちの功績による部分が大きい。
釈迦の弟子の中では、特に優れた弟子たちを十大弟子と呼んでいるが、彼らは釈迦が亡くなる直前まで釈迦の言葉を記憶に留め、入滅後、その教えを広めるべく邁進した。

十大弟子

  • 舎利弗(しゃりほつ)・サーリプッタ
  • 目連(もくれん)・モッガラーナ
  • 摩訶迦葉(まかかしょう)・マハーカッサパ
  • 阿那律(あなりつ)・アヌルッダ
  • 須菩提(しゅぼだい)・スブーティ
  • 富楼那(ふるな)・プンナ
  • 迦旃延(かせんねん)・カッチャーナ
  • 優波離(うぱり)・ウパーリ
  • 羅ご羅(らごら)・ラーフラ
  • 阿難陀(あなんだ)・アーナンダ

マウリヤ朝・アショーカ王によって仏教が広まる

紀元前3世紀に入ると、マウリヤ朝アショーカ王が仏教を庇護した事もあって、インド全域に仏教が広まっていった。
アショーカ王は仏教を広める為に、インドの各地に数多くの仏堂や仏塔を建立。
そこに記された碑文は、初期仏教の有り様を伝える貴重な資料となっている。
この時代に、仏教はインドからスリランカまで伝わり、海を渡って東南アジアまで伝わった。
この頃の釈迦が実践した手法に近い、昔ながらの仏教を今日では上座部仏教と呼んでいる。

上座部仏教と大乗仏教の二つの流れ

一概に仏教といっても、宗派は様々である。
大きく分けて前途の上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教の二つの流れが存在する。
大乗仏教は東アジアに広がったが、伝播する過程で幾つかの宗派に分かれていった。
特に真言や祈祷など呪術的な要素を用いる密教や、中国で普及した禅なども大乗仏教の1つである。
大乗仏教は同じ仏教であるにも関わらず、宗派によって異なる展開を見せている。

日本に仏教(大乗仏教)が伝来

その中で日本に伝来したのは、大乗仏教である。
中国、朝鮮半島を経由して6世紀(538年、もしくは552年)に伝わった。
始めは日本固有の神々(神道)を信仰する者との激しい対立も見られたが、時の天皇が仏教を受け入れら事もあって急速に普及した。

仏教には単一聖典がない

なお、仏教はユダヤ教のヘブライ語聖書や、イスラム教のクルアーンのように、単一の聖典が存在しない。
弟子たちによって編纂された教典は、釈迦の教えに誰もが触れる事が出来るようになった点で大きな意味があった。
しかし、種類が多く、成立年もそれぞれ異なる為、どれを選び取るかによって宗派が細かく分かれる事になった。

教義-仏教の教え

四諦八正道

釈迦の教えで代表的なものとされるのが、「四諦八正道(したいはっしょうどう)」である。
四諦とは4つの心理を指し、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)からなる。
求道の過程で釈迦がひたすら苦行に徹したように、「人生は苦である」という考えが前提となっている。
苦の原因を無くし涅槃(ねはん)を得るには、厳しい修行の道を歩く事を説く。

人としての正しさを表す「八正道」

涅槃に至る為の詳しい修行をまとめたモノが、「八正道」といわれるモノ。
これは正しい見解、正しい思惟(考え方)、正しい語、正しい業(行為)、正しい命(生活)、正しい精進(努力)、正しい念(注意深さ)、正しい禅定(精神統一)からなる。
このうち1つでも欠けてならないとされ、確実に実践する事によって、涅槃に辿り着く事が出来ると説かれている。

輪廻転生

また、仏教の教えの中でも幅広く知られているのが「輪廻転生」である。
これは釈迦自身は説いていないとされるが、現在、仏教の根幹を成す概念でもある。
人は繰り返し生まれ変わる。
その生まれ変わりの中で、煩悩が取り除かれ、悟りを開く事が出来れば、輪廻から脱する事が出来、浄土に往く事が出来るというモノだ。

釈迦の教えの解釈の違いから、多くの経典が生まれる

釈迦の教えは、入滅後に口伝によって継承された。
しかし、言葉の解釈を巡って、弟子たちの間でも意見が分かれていた。
そこで、釈迦の言葉を整理した仏典がまとめられ、様々な“経典”が生まれる。
そして後に日蓮宗を開いた日蓮は、数ある教典の中でも法華経こそが、釈迦の教えを伝えていると考えた。
仏教の宗派が多いのは、これらの教典の中でどれを重視するかによって、対象となる仏や修行の内容に違いあるからだ。

大乗仏教の代表的な経典

  • 般若経
  • 法華経
  • 維摩経
  • 華厳経
  • 阿弥陀経
  • 無量寿経

分かりやすさを優先し、仏像が造られる

また、当初は偶像崇拝が禁止されていたが、仏典の内容を分かりやすく伝える為に紀元1世紀頃から仏像の制作が盛んになった。
釈迦の姿を象った物から、次第に菩薩や明王といった仏も想像されるようになり、視覚的な分かりやすさから、多くの信徒を集める事となった。

  • 菩薩
  • 如来
  • 明王

日本における宗派と歴史

日本の主な仏教13宗

  • 法相宗(7世紀)
  • 華厳宗(8世紀)
  • 律宗(8世紀)
  • 真言宗(9世紀)
  • 天台宗(9世紀)
  • 浄土宗(12世紀)
  • 臨済宗(12世紀)
  • 融通念仏宗(12世紀)
  • 浄土真宗(13世紀)
  • 日蓮宗(13世紀)
  • 曹洞宗(13世紀)
  • 時宗(13世紀)
  • 黄檗宗(17世紀)

現在、日本で信仰される仏教の主な宗派は、大きく分けて13宗とされている。
時系列順にそれぞれの宗派の成立と、教えの中身を見てみる。

奈良時代

奈良時代、聖武天皇は仏教の力で国を治めようと考え、東大寺に大仏を建立した。
この時に重用されたのは華厳宗である。
また、阿修羅像で有名な興福寺は法相宗の大本山で、当から来日した高僧・鑑真によって律宗も伝えられた。
ただし、当時の仏教はあくまで国家仏教として発展したもので、民衆まで広く普及するには至らなかった。

7世紀頃に最新の仏教であった密教が一部日本に伝えられていたが、密教の教え、修法を本格的に実践したのが、真言宗を開いた空海である。
後に高野山の山頂に密教の根本道場として、金剛峯寺を改装し、現在に続く一大宗教都市を築いたのである。

平安時代

平安時代になると、仏の教えが廃れる“末法の世”が訪れるという末法思想によって、人々に不安が広がった。
貴族の間では来世の極楽往生願う浄土信仰が盛んになり、阿弥陀如来像が多く造られた。
平等院鳳凰堂は当時の代表的な阿弥陀堂の一つである。

多くの宗派が生まれた鎌倉時代

鎌倉時代は、仏教が貴族や武士の間だけではなく、民衆の間に広がった時代である。
その先駆けとなったは浄土宗の開祖となった法然である。
法然は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば極楽往生できると説き、その教えを受け継いだ親鸞は浄土真宗を開き、教団を発展させた。
一編は踊念仏で諸国を回りながら信者を獲得した。
日蓮宗の開祖となった日蓮は、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱える事を説いた。
鎌倉新仏教は分かりやすさもあって、それまで仏教に触れる事がなかった庶民にも広く支持された事に特徴がある。

鎌倉時代、坐禅を重視したのが栄西の臨済宗や道元の曹洞宗である。
自らの行を重視した厳しい姿勢が、鎌倉時代の武士の気風にあった事で、武家の間で流行した。
鎌倉幕府が置かれた鎌倉に臨済宗の寺院が多いのもこうした事情による。
鎌倉時代の新しい仏教の広がりは、旧来の宗派にも影響を与え、華厳宗の改革を図った明恵などの僧が活躍した。

中国から伝わった宗派

異色の存在として、江戸時代に隠元が中国から伝えた黄檗宗もある。

日本に根付く仏教の分化と伝統

日本に仏教が伝来してから約1450年が経っているが、その間、仏教に由来する様々な年中行事が生まれ、多くが私たち日本人の生活に深く根ざしている。
知らず知らずのうちに、日本人は仏教の分化に触れているのだ。

釈迦に所以する行事

仏教の法要や行事の多くが、釈迦の生誕や成道を祝ったり、先祖を供養するモノだ。
それぞれの宗派によって異なるものの、釈迦が入滅した日に行われる「涅槃会」は、各地の寺院で広く行われている。
“お彼岸”は「彼岸会」に由来する行事で、信仰の有無に関わらず、どの家庭にも普及している行事である。
釈迦の生産を祝う「灌仏会」は、タイでも「ヴィサカプーチャ」という名で行われている。

仏教美術

続いて仏教文化として、仏教美術がある。
仏教美術の象徴といえば仏像である。
中国の雲崗の石窟寺院は大陸の雄大さとエキゾチックな作風が魅力的な、中国の仏像を代表する作例だ。
日本でも東大寺の大仏をはじめ、東寺の立体曼荼羅など、世界的に知られた仏像は多い。
仏教は多神教であり、信仰の対象が様々なので、仏像の作例が多い。
そして、仏像の姿形も様々で、一様ではない。
多神教である事が仏教美術を味わい深いモノとしている。

仏教建築

仏教建築を代表するモノと言えば、“ストゥーパ”だ。
釈迦の遺骨“仏舎利”を祀る為の塔だが、これが日本に伝わると高層化し、三重塔や五重塔などの建築が生まれた。
また、ボロブドゥールやアンコールワットは東南アジアを代表する寺院の遺構で、細部まで豊かな装飾が施され、花開いた仏教文化を今に伝える。

仏教寺院

寺院の参詣の際は、建物が建立されている場所にも注目したい。
密教の代表的寺院である高野山金剛峰寺や、比叡山延暦寺は険しい山中に伽藍が広がる。
これは釈迦が厳しい山中で修業をした事に因んだものだ。


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