アラブ帝国

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アラブ人イスラム教徒のアラブ帝国

610年頃から750年頃、アラブ人ムスリムによる征服活動で大帝国が誕生する。
その勢力圏はとても広く、中東・アラビア半島から北アフリカ、インダス川流域、西ヨーロッパのイベリア半島にまでかけて支配していた。
ムハンマドの時代にイスラム教が生まれ、正統カリフ時代を経て、ウマイヤ朝・アラブ帝国が拡大していった。
>> アラブ帝国年表

3大陸にまたがるアラブ人の大帝国

ムハンマドの死後、ムスリム(イスラム教徒)の間で選ばれたカリフ(最高権威者)が国家を統治する正統カリフ時代となる。
この時代、アラブ人はアラビア半島から進出し、各地を征服していった。
ササン朝ペルシアを滅亡させ、ビザンツ帝国領になっていたシリア、エジプトをも版図に加え、広範囲を支配するアラブ帝国が誕生した。
アラブ帝国は、アラブ人第一主義を執り、異教徒や異民族ムスリムに、ジズヤ(人頭税)とハラージュ(地租)を課した。

カリフが暗殺され、シーア派とスンニ派に分裂

661年、第4カリフのアリーが暗殺され、シリア総督のムアーウィヤがカリフとなり、ウマイヤ朝を開いた。
ウマイヤ朝を支持するスンニ派は、正統カリフとウマイヤ朝以降のカリフを正統とした。
しかし、アリーとその子孫を正統なカリフとするシーア派はこれを認めず、ウマイヤ朝に対抗した。

ウマイヤ朝が、急速に版図を広げる

ウマイヤ朝の時代にもアラブ軍は各地を征服し、8世紀初めに最盛期を迎える。
東をインダス川流域まで、西は北アフリカを経てイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル)に進出する。
西ゴート王国を滅ぼし、フランク王国にも侵入したが、トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国(現フランス)に敗れ、西ヨーロッパ全域の征服はならなかった。

アラブ帝国からイスラム帝国へ

ウマイヤ朝は、版図の大きさでは後のアッバース朝を凌ぎ、帝国内ではアラブ化、中央集権化が進められた。
しかし、カリフ位をウマイヤ家が独占するなど、イスラムの理念に悖る政権運営が行われた為、シーア派などが不満を強めた。

アッバースの子孫がウマイヤを打倒

750年、ムハンマドの叔父アッバースの子孫が、アラブ人第1主義に不満を持つ勢力などを糾合してウマイヤ朝を倒し、アッバース朝を建てた。
ウマイヤ朝のカリフ一族は、イベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝を建てている。

全てのムスリムは平等という理念

アッバース朝は全てのムスリムは平等というイスラム本来の理念から、アラブ人の特権を廃止した。
こうして、イスラム法に則る世界帝国が誕生するのである。

アラブ帝国年表

ムハンマドの時代
610年頃イスラム教の成立
622年ヒジュラ(聖遷)
630年メッカを占領
632年ムハンマド死去
正統カリフ時代(アブーバクル、ウマル、ウスマーン、アリー)
633年ジハード(聖戦)開始
650年頃クルアーン成立
651年ササン朝ペルシア併合
661年アリー暗殺
ウマイヤ朝
7世紀後半シーア派成立(カリフにはムハンマド・アリーの血統が必要であるという派閥)
732年トゥール・ポワティエ間の戦いで敗北
アッバース朝
750年アッバースの子孫がウマイヤ朝を倒し、アッバース朝成立

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