ツツジ(躑躅)

ツツジ(躑躅)

古くから栽培されるツツジは、日本人に最も親しまれている植物の一つである。
春にピンクや白など、色とりどりの鮮やかな花を咲かせる。
ツツジの名は、一般的には「サツキ」を除く、半常緑性の「ヤマツツジ」の仲間(ツツジ属ヤマツツジ節)の総称として使われるが、落葉性のレンゲツツジや常緑性で葉にうろこ状の毛があるヒカゲツツジなどを加える事もある。
ヤマツツジの仲間は、アジア東部に約90種が分布しており、日本には花の美しいヤマツツジやキシツツジ、モチツツジ、サツキなど17種ほどが自生する。
日本ではツツジ属の中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲを分けて呼ぶ慣習があるが、学術的な分類とは異なる。
日本に現存するツツジの中で最も古い古木は、樹齢800年を超え1000年に及ぶと推定される。

ツツジ

ツツジ

シャクナゲ

シャクナゲ
ツツジによく似ており、狭義においてツツジの一種と扱われる

名前の由来

その由来は「羊この葉を食せば躑躅(てきちょく)として斃(たお)る」(和名抄)からきている。
躑躅とは「あがく、あしずりする」という意味で、「羊がこの花を食べると倒れてしまう」という意味である。
有毒だと認識しやすいようにこの名が付いたと云われる。
最もツツジの中で毒を持つのはレンゲツツジのみであり、当初は同じツツジ科で毒を持つ馬酔木(アセビ)に「躑躅」の名が当てられ、次第にツツジ類全般を「躑躅」とするようになったようだ。

ツツジ(躑躅)の歴史

〜 飛鳥時代

ツツジは日本原産の植物であるため、日本人とツツジの関わりは非常に長い。
『万葉集』(飛鳥時代)でもツツジを詠んだ歌は多く残されており、ツツジ科の植物に関しては『古事記』にも記されている(ツツジそのものは記述されていない)。
ツツジは櫻、椿、馬酔木などと共に繁栄と豊穣を予祝する聖なる花とされ、『万葉集』には、美しい乙女をツツジと櫻に重ねる歌が残っている。
689年には、草壁皇子(父:天武 母:持統天皇)が28歳の若さで亡くなり、その一回忌に皇子の側近たちがツツジに所以する歌を詠んでいる。

真っ白ツツジ

真っ白のツツジ

江戸時代

日本では長い栽培の歴史を持ち、早くから育種も進んだ。
特にツツジの栽培・品種改良が盛んに行われたのは江戸時代の事で、江戸時代中期には“本霧島”や“白琉球”、“大紫”など現在でも栽培される数多くの園芸品種が作出された。
元禄5年(1692年)に伊藤伊兵衛により刊行された『錦繍枕』は、世界最古のツツジ・サツキ専門書とされている。
この中でツツジ175品種、サツキ161品種の紹介があり、春に咲くものを「ツツジ」、初夏に咲くものを「サツキ」と呼んで区別をしていた。
ただし、当時からサツキとツツジは厳密には違う植物であると認識されていたようだ。

サツキ

サツキ

江戸末期 〜 大正

クルメツツジは江戸末期に作出され、明治から大正にかけて多くの品種が作出されていった。
現在栽培されるツツジは、日本に自生する野生種をもとに改良されているので、いずれも栽培は容易であり、公園や家庭などで広く親しまれている。

クルメツツジ

クルメツツジ

クルメツツジ

クルメツツジ

第二次世界大戦中

花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができ、第二次世界大戦中は当時の子供たちの数少ない甘みとなっていた。
ただし、多くの種に致死性になりうる毒成分のグラヤノトキシンが含まれる。
特に多く含むレンゲツツジは庭木として利用されるており、現在では蜜を吸う事はない。

キリシマツツジ

キリシマツツジ

キリシマツツジ

キリシマツツジ

西洋におけるツツジ

西洋ではアジアからヨーロッパに常緑のツツジが持ち込まれて園芸化され、ベルジアン・アザレアと呼ばれ現在鉢花として大量に生産されている。
トウヤマツツジを主に、ケラマツツジやサツキの品種などもその育種に用いられている。
また日本のレンゲツツジや北アメリカの落葉性の原種が園芸化されてエクスバリー・アザレアあるいは匂いツツジなどと呼ばれている。

薄いピンクのツツジ

薄いピンクのツツジ


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