サザンカ(山茶花)

サザンカ(山茶花)

サザンカはツバキとともに日本の野生種から選抜されて世界に広まった日本原産の園芸植物で、その基になった野生のサザンカは、九州や四国から沖縄へかけて分布する。
国外では台湾や中国、インドネシアなどにも分布する。

サザンカ

サザンカ

サザンカについて

野生種(サザンカの原種の花)は6〜7弁で一重咲きの白花で、一般的に知られるサザンカに比べるとシックであり、あまりツバキに似ていない。
江戸時代の初め頃から次々と選抜された園芸品種には、桃色や紅色の花があり、八重咲きや千重咲きなどの華やかなものが沢山ある。
様々な品種が生み出されて、中国を初め海外へ渡り、改良されて日本に逆輸入された品種もある。
別名「山茶(サンチャ)」とも呼ばれ、サザンカもツバキもチャノキ(茶)に似て飲用になるので「茶」の名を得た。

サザンカ

原種のサザンカ
花弁は白で、一重咲きの質素な花

サザンカの歴史

サザンカは日本の固有種ではあるが、「栽培種」「花を観賞する」という歴史はそれ程長くはないようだ。
ツバキは8世紀に編纂された万葉集に記述が見られるが、サザンカの記録は室町〜江戸時代初期まで現れない。
これには理由があり、古来、サザンカはツバキと区別されていなかった為と思われる。

サザンカの名前が記される文献資料

「山茶花」の名が書誌に登場するのは室町時代の一条兼良(1402-81)の著と伝わる「尺素往来(せきそおうらい)」が初めての事で、それまでは椿との明確な区別はなかったと考えられ栽培の歴史も不明である。
儒学者・貝原益軒の著書「花譜」(17世紀末)に、初めて漢名の「茶梅」が登場。
サザンカの漢名は「茶梅(サバイ)」であり、これ以降、主要な園芸書には「茶梅」が現れてくる。
ただし、古い書物には「茶梅」の記述も見られない。

サザンカの葉と花

サザンカの葉と花

江戸時代のサザンカ

江戸中期から盛んに改良されるようになり1695年(元禄8年)に江戸の園芸家・伊藤三之丞(3代目伊藤伊兵衛)が著した「花壇地錦抄」や1710年の「増補地錦抄」、1709年(宝永6年)に貝原益軒が著した「大和本草」などでも解説されている。
11代将軍・徳川家斉は山茶花を非常に好んだといわれており、現代でも童謡「たきび」の歌詞で「サザンカ サザンカ 咲いた路 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き」と歌われたり、歌謡曲の大川栄策「さざんかの宿」などはよく知られている。

サザンカ

サザンカ
花弁が多い品種

サザンカの名前について

日本の西南地域に見られる野生のサザンカは、果実や種子が堅く、ツバキよりも小型であることなどからコカタシやヒメカタシなど、地方ごとの呼び名が存在した。
古くは平安時代以前から、日本の野生植物に中国の書物に出てくる植物名を当てはめる作業が延々と行われてきた。
その過程で、中国名としてはむしろ日本のツバキに近い仲間に使われてきた「山茶(または山茶花)」の漢字がサザンカに当てられた。
ツバキには春に花が咲く木という意味から「椿」という日本国産の漢字が使われるようになったと考えられている。
しかし、それでも「山茶花」をサザンカとは読めなず、江戸時代初期の園芸書には山と茶が逆さになった「茶山花」と記されており、これならサザンカと読めるのだ。
つまり「山茶花」と書く漢字名は、中国の植物名を日本の植物に当てはめる過程でツバキと混乱した事と、園芸家による誤記が重なった為だろうと考えられている。

カンツバキ(寒椿)

カンツバキ(寒椿)
サザンカの一種


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