日本史の権力者

日本の権力者の移り変わり

日本史上の権威・権力・実権の移り変わりを一覧年表で簡単にまとめる。(選挙が始まるまで)

日本史の権力者の移り変わり
西暦権威者実権備考
57年奴国王後漢へ遣使、奴国王が史書に遺る日本最古の権力者
107年倭国王帥升後漢へ遣使
239年卑弥呼魏へ遣使
266年台与(壱与)魏・晋へ遣使
空白の4世紀
413年〜502年倭の五王中国南朝・宋と外交関係を持つ
527年継体天皇九州の豪族・磐井が反乱を起こす(磐井の乱)
552年欽明天皇蘇我稲目・物部尾輿仏教をめぐり蘇我氏と物部氏が対立
587年用明天皇蘇我馬子・物部守屋蘇我氏が物部氏を滅ぼす(用明は稲目の孫)
593年崇峻天皇蘇我馬子崇峻を馬子が擁立、崇峻を馬子が暗殺
593年推古天皇厩戸皇子(聖徳太子)聖徳太子が推古天皇の摂政となる
643年皇極天皇蘇我蝦夷・入鹿入鹿が聖徳太子の血筋を滅ぼす
645年斉明天皇中大兄皇子入鹿暗殺、難波宮に遷都
667年天智天皇近江大津宮に遷都
672年天武天皇壬申の乱、飛鳥浄御原宮に遷都
694年持統天皇藤原京に遷都
710年元明天皇藤原不比等平城京に遷都、不比等が娘を天皇に嫁がせる
721年元正天皇長屋王不比等の死後、長屋王(皇族)が実権を握る
729年聖武天皇藤原四兄弟藤原氏が長屋王から実権を奪う(長屋王の変)
758年淳仁天皇藤原仲麻呂仲麻呂が淳仁天皇を擁立
764年称徳天皇道鏡藤原仲麻呂の乱、称徳天皇(孝謙)が重祚
794年桓武天皇藤原冬嗣平安京へ遷都
810年嵯峨天皇藤原冬嗣冬嗣を蔵人頭(天皇の首席秘書)に任命し藤原北家が台頭
868年清和天皇藤原良房良房が摂政に
884年光孝天皇藤原基経基経が関白に(日本史上初の関白)
891年宇多天皇宇多天皇の親政「寛平の治」
897年醍醐天皇藤原時平・菅原道真醍醐天皇の親政「延喜の治」
930年朱雀天皇藤原忠平忠平が摂政・関白に、武士の反乱が起こる
947年村上天皇村上天皇の親政「天暦の治」
986年一条天皇藤原兼家一条天皇は兼家の娘・詮子の子、兼家が摂政に
1016年後一条天皇藤原道長後一条天皇は道長の娘・彰子の子
1045年後冷泉天皇藤原頼通後冷泉天皇は道長の娘・嬉子の子
1068年後三条天皇親政を開始、摂関政治の終わりへ
1087年堀河天皇白河上皇白河上皇が院政を開始、上皇が平氏(北面の武士)を重用
1159年後白河天皇平清盛保元・平治の乱で平清盛が躍進
1180年安徳天皇平清盛安徳天皇は清盛の娘・徳子の子、平氏政権(武士政権)誕生、福原京遷都
1185年後鳥羽天皇源頼朝平氏が滅び、実権が源氏へ
1203年土御門天皇北条時政源頼家が廃される
1219年後鳥羽上皇北条義時源実朝暗殺、実権が平氏へ
1221年後堀河天皇北条義時承久の乱、朝廷から権力の多くが奪われる
1222年〜1332年86代〜96代天皇北条氏(鎌倉幕府歴代執権)北条氏が執権職を独占
1333年後醍醐天皇北条高時高時は後醍醐の軍に攻められ自害、鎌倉幕府が滅亡
1334年後醍醐天皇後醍醐の親政「建武の新政」
1338年光明天皇足利尊氏尊氏が将軍となり、実権が源氏(足利)へ
1358年後光厳天皇足利義詮義詮が二代将軍となる
1392年後亀山天皇・後小松天皇足利義満南北朝が統一される
1467年後土御門天皇足利義政応仁の乱勃発
1468年〜1572年103代〜106代天皇足利将軍将軍権威が失墜、実権は細川氏や三好氏に
1573年正親町天皇織田信長信長が義昭を京都から追放(室町幕府滅亡)
1590年後陽成天皇豊臣秀吉秀吉が天下統一
1603年後陽成天皇徳川家康家康が将軍となり江戸に幕府を開く
1604年〜1866年107代〜121代天皇徳川歴代将軍徳川家が将軍職を独占
1867年孝明天皇徳川慶喜慶喜が最後の征夷大将軍となった
1868年明治天皇薩摩・長州明治政府に実権が移る
1885年明治天皇伊藤博文伊藤博文が初代内閣総理大臣に
1890年明治天皇板垣退助第1回衆議院議員総選挙、板垣が率いる立憲自由党が第一党に

これ以降は選挙によって国民が権力者を選択する時代へ移っていく。


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