戦後経済復興

日本の戦後経済復興

1950年、深刻化する日本の戦後不況を戦争勃発による朝鮮特需が救った。
ドッジ・ラインによる厳格な経済改革がインフレ抑制と日本の市場経済化を準備し、特需景気が復興・自立を即した。

GHQによる日本の経済政策

GHQによる対日経済政策は、日本の非軍事化に主眼を置いた経済民主化で始まった。
つまり、日本の軍国主義と対外進出を加速させたのは、財閥支配と低賃金による国内市場の小ささ、自作農地の少なさなどと分析し、財閥解体労働改革(労働組合結成)・農地改革(自作農の拡大)を実施したのだ。
しかし、冷戦の激化で、日本を西側の国として自立させる為の早期経済復興と市場経済化(非計画経済化)が重視されるようになり、経済安定(インフレ抑制)が課題となった。

戦後日本を襲った急激なインフレ

戦後の日本経済は、生産体制の崩壊などで深刻な物資不足に見舞われ、インフレが進行していた。
一方、政府は限られた資材や労働力を、石炭や鉄鋼などの重要産業に傾斜生産方式での復興を狙い、その資金を復興金融金庫(復金)でまかなった。
しかし、復金の原資は殆どが日銀引き受けの債権で調達された為、通貨発行量が増え、インフレを加速させた。

日本経済の復興・安定・自立を目指したドッジライン

こうした状況下、GHQ財政顧問として来日したのが、デトロイト銀行頭取のドッジだった。
自由主義経済を重視するドッジは、アメリカ本国で採択された経済安定九原則に基づぎ、ドッジラインと呼ばれる一連の改革を実施する。
具体的には、緊縮財政による需要抑制や復金債回収による通貨膨張の抑制、補助金停止による市場メカニズムの回復と生産の合理化などだ。
これらの改革に基づき、1949年度には超均衡(黒字)予算が組まれた。
また、49年4月、ドッジは1ドル=360円の単一為替レートを設定する。
それまでは、政府管理のもと、輸出品は円安、輸入品は円高で取引される複数為替レートの状態で、実質的に輸出入補助金が出されていたのだ。

朝鮮特需で日本経済好転

改革の結果、インフレは急速に収まったが、逆に日本経済はデフレに見舞われ、安定不況に陥った。
この状況を好転させたのが、朝鮮戦争勃発にともなう特需景気であり、以後、日本経済は復興・自立を遂げて高度経済成長を迎えるのであった。


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