1956年、「雪どけ」ムードの後押しを受けて実現したソ連との国交正常化。
これを受けて、日本の国際社会への復帰を完成させる国連加盟が実現した。
>> 戦後の諸外国との国交回復年表
長らく独裁政治を執っていたスターリンの没後、ソ連の平和共存路線への転換の影響は、日本にも及んだ。
1955年1月には、元駐日ソ連代表部代表ドムニツキーを通じて、非公式に国交正常化交渉の打診があったのである。
ソ連の動きは、前年の12月に吉田茂内閣が退陣し、アメリカと一定の距離を多く「自主外交路線」を打ち出した鳩山一郎内閣が発足していた事とも無関係ではない。
こうして55年6月には日ソ交渉が始まり、翌56年10月、鳩山がモスクワを訪れて日ソ共同宣言に調印した。
この共同宣言により、日ソ間の戦争状態は正式に終わり、両国の国交が回復した。
また、ソ連が拒否し続けてきた日本の国連加盟を支持する事や、日本に対する賠償請求権の放棄、将来の平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を返還する事も取り決められた。
このうち、日本の国連加盟に関しては、早くも同年12月に実現しており、鳩山はこれを花道として退陣している。
また、翌57年には、ポーランド、チェコスロバキアとも二国間協定が結ばれ、日本はサンフランシスコ講和会議に出席したすべての国との国交が回復した。
尚、共同宣言までに1年4カ月もの時間を要したのは、領土問題が紛糾した為だ。
サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した「千島列島」に国後島と択捉島は含まれていないとして北方4島の返還を求めた日本に対し、ソ連は国後島と択捉島は自国領であるとの主張を曲げなかった。
平和条約の締結ではなく共同宣言となったのも、この領土問題で意見の一致が見られなかった為である。
なお、交渉相手がソ連からロシアに代わった現在も、平和条約締結は実現していない。
2016年12月、日本の安倍首相とロシアのプーチン大統領による首脳会談で、北方領土を「特別な制度」の下での共同経済活動へ入る事が表明された。
西暦 | 出来事 |
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1951年 | サンフランシスコ講和議会開催 ソ連、チェコスロバキア、ポーランドを除く48カ国と国交を回復(韓国・中国も除く) |
1952年 | ユーゴスラビアと国交回復 インドと国交回復 |
1953年 | スターリン死去 |
1954年 | ビルマ(現ミャンマー)と国交回復 |
1956年 | ソ連と国交回復(日ソ共同宣言) 日本の国連加盟承認 |
1957年 | ポーランドと国交回復 チェコスロバキアと国交回復 |
1965年 | 大韓民国と国交回復 |
1972年 | 中華人民共和国と国交回復 |