印パ核実験

印パ核実験

イギリスからの独立以来、カシミール地方の領有権をめぐって対立を続けるインドとパキスタンが、相次いで核実験を行った。
核の抑止力を大義名分とし、世界各国の核開発の動きが止まらず、核戦争勃発が懸念されている。
一国が核を持つ事によって、その国と対立している国が核を持つという、核拡散ドミノは、現在でも中東や北アフリカなどで問題となっている。

インドとパキスタンによる核実験

独立以来続く、印パの確執

冷戦終結により米・ソの軍縮が進む中、1998年5月にインドとパキスタンが相次いで核実験を行い、世界を震撼させた。
インドの核実験は74年以来となる2度目で、直前にパキスタンが行った弾道ミサイル発射実験に対する威嚇だったとみられる。
対するパキスタンは初の核実験で、インドを威嚇し返すと共に、世界で7番目の核保有国となった。

核戦争が起きる可能性が高くなった南アジア

両国は47年の分離独立以来カシミール地方の領有権をめぐって何度も武力衝突しており、沈静化の兆しも見せていない。
そのため、この核実験で印パ両国は、世界で最も核戦争の可能性が高い地域として認識されるようになった。

実際、99年にカシミールのカールギル地区で起きた紛争では、パキスタン軍が核兵器の配備を検討していたといわれる。
また、2001年のインド国会議事堂襲撃事件や翌02年に起きたカシミールのインド軍駐屯地襲撃事件で両国の緊張が高まった際にも、パキスタンには核兵器使用の用意があったという。
近年は経済交流の活発化による緊張緩和の動きが期待されているが、死者をともなう小競り合いは現在も続いており、予断は許されない状況である。

核拡散ドミノ

また、この時の核実験で、国際社会は核兵器の拡散という現実を突きつけられた。
そもそも、パキスタンが核兵器を開発したのは、イギリスからの分離独立以来対立関係にあるインドが74年に核保有国となった事が切っ掛けである。
この核拡散ドミノに加え、パキスタンの核実験を成功に導き、同国で「核開発の父」と呼ばれたカーン博士が、リビアイラン北朝鮮に核技術を流出させたことが2004年に発覚する。

2006年以降、北朝鮮が国際社会の非難を無視して核実験や弾道ミサイルの発射実験を繰り返している。
また、イランが核兵器開発につながる濃縮ウランの製造を進める(現在は停止)など、さらなる核兵器の拡散が懸念される。

印パ国境紛争(カシミール紛争)

1947年の独立時、ムスリム連盟の主張で印パが分離した。
その際、藩王がヒンドゥー教徒で、住民の大多数がイスラム教徒だったカシミール藩王国の帰属が問題となった。
同年以来、3次にわたる印パ戦争が勃発した。
1971年の第三次戦争は東パキスタンの独立をめぐる戦いで、インドが圧勝した結果、バングラデシュとして独立し、遺恨は拡大した。


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