60年代のアメリカ

黒人差別廃止運動とベトナム反戦運動

60年代のアメリカでは、貧困や人種差別問題など、社会の分裂が鮮明になる。
ケネディ、ジョンソン両政権の下、戦後の経済覇権が揺らいだアメリカでは、各種の社会矛盾が国内対立を激化させた。
ベトナム戦争の長期化による財政赤字や戦死者の増大なども、アメリカ社会に大きな禍根を残していく。
>> 1960年代のアメリカ年表

アメリカ社会の分裂が鮮明化する

第二次世界大戦で国内に殆ど被害が無かったアメリカは、世界経済の派遣を握り、1950年代には空前の繁栄を謳歌する。
しかし、60年代に入ると、西ヨーロッパや日本の台頭でその絶対的な地位が揺らぎ始めた。
同じ時期、国内では社会的な不平等や不正に対する抗議運動が盛んになる。
その一つは、キング牧師を指導者とする黒人差別廃止運動(公民権運動)だった。

ケネディのニューフロンティア政策

この公民権運動に理解を示したのが、ケネディである。
ケネディは、貧困や人種差別、都市問題などの積極的解決を目指す「ニューフロンティア政策」を掲げて60年の大統領選挙に勝利した。
彼は白人vs黒人というアメリカ社会の分裂状況を改善すべく、尽力したが、63年、南部遊説中に暗殺されてしまう。
しかし、その意思は受け継がれ、翌64年には人種や性別、宗教、出身国による差別を禁止する公民権法が成立した。

キング牧師の暗殺と黒人暴動

法的な平等は実現したものの、白人と黒人の間の経済落差は中々解消されず、60年代後半になると、貧困からの脱出を求める黒人暴動が各地で頻発した。
さらに、68年にはキング牧師が暗殺されるなど、アメリカ社会の分裂が一朝一夕に解決されるものでなない事が印象づけられた。

ベトナム反戦運動

次いで盛んになったのは、ベトナム反戦運動である。
特にジョンソン大統領の思惑に反してベトナム戦争が長期化し、米軍の戦死者が増加した60年代後半になると、徴兵の対象である若者を中心に運動は激化。
国論の大分裂に加え、戦費の増大による財政赤字の拡大なども批判されたジョンソンは、68年の大統領選挙出馬を断念する事となった。

1960年代のアメリカ年表

1955年
12月
モンゴメリ-・バス・ボイコット
人種隔離政策(バスの白人用座席)に対し、キング牧師を指導者とする黒人たちがバスの利用をボイコットし、「非暴力主義」の運動が脚光を浴びる。
1960年
11月
大統領選挙でケネディが勝利
共和党のニクソン候補を破り、非WASP(ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタント)初の大統領に就任。
1961年
12月 南ベトナムへの軍事援助増強を発表
1963年
8月
ワシントン大行進
公民権法成立などを要求する20万人以上が行進む。キング牧師が「私には夢がある(I have dream)」の演説を行う。
11月
ケネディ大統領暗殺事件
ケネディに代わり、副大統領のジョンソンが大統領に就任。
1964年
7月
新公民権法成立
人種や出身国、宗教、性別などによる差別を禁止。
8月 トンキン湾事件
1965年
2月 北爆開始
8月
投票権法が成立
投票での人種差別を禁止する法律
8月
ワッツ暴動
カリフォルニア州ワッツ市(のちロサンゼルス市に吸収)で大規模な黒人暴動が発生。
1967年
10月
ベトナム反戦集会
全米30都市でベトナム戦争終結を訴えるデモが行われる。
1968年
3月 米軍のソンミ村虐殺事件(南ベトナム)
4月 キング牧師暗殺
1969年
1月 ニクソン大統領就任
7月
ニクソン・ドクトリン発表
アジアへの直接軍事介入を避け、同盟国の自主防衛に期待するという方針
8月
ウッドストックコンサート
ニューヨーク郊外で、カウンターカルチャーの象徴といわれる事になる野外ロックフェスティバルが開催された。
10月
ベトナム反戦デー
全米各地で大規模反戦でも開催。
1971年
6月
ペンタゴンペーパーズ暴露事件
ニューヨークタイムズ紙がトンキン湾事件のでっち上げなどが書かれた国防総省の秘密報告書(ペンタゴンペーパーズ)を暴露。
8月 ニクソン・ショック

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