2014年9月11日のことですが、吉野ヶ里歴史公園に行ってきました。かなり時間が経っていますが、レポートをアップします。当日は9月上旬ということでとても暑い日でしたが、長崎から(下道で)バイクで頑張っていってきました。吉野ヶ里歴史公園は小学生のころに学校行事で訪れたことがありましたが、今回はボク一人です。
逆茂木(乱杭)。米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。人々は自分たちの集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていました。これを逆茂木と呼んでいます。 (案内板より引用)
木柵、土塁、堀、逆茂木(乱杭)と、さっそく古代のお城がお出ましです。(吉野ヶ里遺跡を城郭とみなすか否かは賛否あります)
竪穴住居と高床式倉庫
竪穴住居の内部と道具。鉄器、ざる・火起こし器・土器・農耕具など。鉄製の鎌(刃物)が置いてありますが、弥生時代の日本でにこのような鉄器が造られていたとは考えづらいので、あくまで参考展示
ユズリハ科のユズリハとそのまだ青い果実
高床式倉庫。(反対側からの写真を撮ってなかった…)
柵の向こうに、倉と市、物見櫓がみえる
赤いヒガンバナ(曼殊沙華)があちこちに咲いていた。とくに案内板などは見なかったように思う。ヒガンバナに関して「稲作とともに日本に伝来した」という話も聞きはするが、僕は室町時代ごろに日本に入ってきたと思っている。弥生時代の吉野ヶ里にはヒガンバナは咲いてはいなかっただろう。
倉と市。海外との交易品や日本各地の特産品などが集まり、盛大な市が開かれていたと考えられています。
高床式倉庫。市で取引される品々が保管されていたと考えられています。
コナラの木です。吉野ヶ里遺跡ではコナラが自生していたとみられています。なお、写真では分かりにくいですが、左の木に「コナラ」と書かれた札が着けられています
早くも物見櫓が見えてきました。こうしてみると、天空にそびえる壮大な建物ですね。
貢物の倉。中国へ使者を派遣するとき、一緒に持たせる貢物を収めています。 (案内板より引用)
原料の倉。吉野ヶ里で製作される、鉄や銅製品などの原料を収めています。 (案内板より引用)
弥生時代には、鉄板(鉄てい)を曲げて、鉄製品を作っていました。その鉄板は、朝鮮半島や中国から輸入されていたとされています。鉄鉱石や砂鉄から鉄を作り出す技術は、弥生時代には無かったとされていますが、ここでは参考に展示しているようです。展示協力:新日本製鉄株式会社 八幡製鉄所 (案内板より引用)
稲籾の倉。軍事のための備蓄や「国」の財力を示すため籾を収めています。 (案内板より引用)
弥生時代には、米を籾のまま収蔵する倉と、稲穂のまま収蔵する倉の2種類があり、この看板の倉は籾を長く備蓄するためのものだそう。
武器の倉。戦いに備えて多くの武器を保管している。(古代中国において、都城の門や施設入口に、武器庫が設置されていたことから、武器庫であると推定し、武器を展示しているとのこと)
吉野ヶ里の「国(クニ)」の各地から、税として納められた稲穂を収めています。 (案内板より引用)
環壕と土塁。吉野ヶ里丘陵の裾を巡るように設けられた防御のための施設です。大きな壕を掘り、掘った土を外側に高め、土塁として敵の侵入を防いでいます。土塁の上には木の柵を設け、城柵としていたと考えられています。こうした構造から「城=土から成る」 という言葉の語源となったと考えられています。 (案内板より引用)
兵士の詰所。ここは、北の「守り」付近を警備している兵士たちが詰める建物。中では兵士たちがそれぞれに休憩しています。 (案内板より引用)
そして、今回のお目当てでもあった次のゾーンへ…
ここを見に来たといっても過言ではない。
弥生時代はまだ布と布を縫い合わせた服は貴重品だったため、身分の高い人々が住んでいたであろう南内郭には高級な衣服が干してあったのでしょう。
「大人(だいじん)」の家。ここは外交を取り仕切る「大人」と家族の家です。中では「大人」がよその「国」の使者から話を聞いています。 (案内板より引用)
南内郭を出て、次へ進みます
そして、ついに……
さあ!ついに主祭殿のある北内郭に行ってきます!
と、言いたいところなのですが、なぜだかわたくし、主祭殿のある北内郭を訪れていなかったようです…。(当日は、確かに全部見て回ったと思っていたのですが、疲れていたのかな汗。もしくは工事中で入れなかっとか?)
気を取り直して、次へ進みます
古代米の一種、赤い色をした赤米(あかごめ)の稲穂が実っています。奥には案山子(かかし)も立っているが、材質とイラストを見る限り、これは弥生時代を完璧に再現しているわけではないようです。

吉野ヶ里遺跡ではクリが自生していたことが分かっています。貴重な食糧だったのですね。
張り紙「この竪穴住居の中で、食事ができます。」と書いてありました。
ということで、今回はここまでとさせて頂きます。吉野ヶ里遺跡はまた今後も訪れる予定ですので、訪れ次第、随時、更新していきます。
































































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