弥生時代の男女

弥生時代の男女

弥生時代の男女関係に関して、非常に謎が多い。
明確な文献資料が殆ど国内に残っていない為である。
男女一対の土偶」などの発掘物、「魏志倭人伝」などの国外の文献資料、銅鐸などに描かれた「絵画」等から、弥生時代の男女に関して分かる事を記述する。

土偶から分かる男女の違い

土偶形容器は、弥生時代前半の東日本に見られる、頭部が開口した、中空で脚のない粘土製の立像がある。
土偶形容器は1905年(明治38)、大野雲外が学会に紹介して以来、40例ほどが知られている。
長野県・山梨県を中心に東は福島県から西は滋賀県、あるいは兵庫県にまで及んでいる。
この地域で縄文時代以来の土偶が消滅する前後、弥生時代前期末〜中期中葉に集中して造られた推定される。
高さ30cm程のものが多く、胴下半部は大きく膨らみ、底辺は平らなものが一般的である。

土偶から生まれた土偶形容器

ほぼ同じ時期に、顔壺と呼ばれる顔面付き土器がある。
顔壺とは文字通り、壺の頸部に顔を付けたものである。
これに対して、土偶形容器は胴部や裾部の断面が楕円形であり、簡略化されているが腕を表現している点で、顔面付き土器と区別される。
こうした土偶形容器の特徴は縄文晩期の土偶の特徴でもあり、土偶形容器が土偶から生まれた事を物語っている。

土偶形容器の役割

土偶形容器は開口した頭部から物が出し入れ出来るようになっており、新生児の骨や歯が収められた。
再生を願って造られた、人型の蔵骨器である。

男女一対の土偶形容器

土偶形容器で注目すべきなのは、男女一対の像があるという事だ。
長野県丸子町渕ノ上遺跡例は、「地下三尺のところに二体並列して発見された」とされる。
他の文献では並列していたか否かハッキリしないが、近い場所から出土した事は確かであろう。
山梨県岡遺跡例も二体一緒に発見された。
二体を比較すると頭部を除いた部分が極めて類似しており、ほぼ同時期に造られ、使用されたと考えられる。

土偶から男女の髪型が分かる

渕ノ上遺跡例の二体のうち、片方には乳房があり、片方にはそれがなく、丈はもう一方より小さい。
岡例は二体とも乳房はないが、大きさに違いがあり、心なしか大きい方は厳しく、小さい方は優しい表情をしている。
この二体は頭部が作り分けられており、大きい方は筒状の頭で、小さい方は髷上の頭である。
この点を踏まえて、他の発掘例を見ると、渕ノ上遺跡の小さい方や愛知県下橋下遺跡例など、乳房のない男性像は筒状の頭で、神奈川県中屋敷遺跡例など、乳房のある女性像は髷上である。
つまり、男女によって、頭部の形・髪型が違っているのだ。

魏志倭人伝の記述

男は巻物、女は髷

中国の歴史書「魏志倭人伝」に、女王卑弥呼が治めた邪馬台国に関する記述があるが、倭人伝にはこの時代の日本人の外見的特徴に関しても記してある。
男子は皆被り物を付けず木綿(ゆう)で頭を巻いており、(中略)、婦人は髪を折り曲げている」と記述されている。
木綿というのは、「楮の皮をはぎ、その繊維を蒸し、水に浸して裂いて糸としたもの」の事。
頭に巻く訳であり、木綿を織って布状にしたと思われる。
倭人(日本人)の男性は、いわばバンダナやターバンの様な物を頭に巻き、女性は髷を結っていたと考えられるのだ。
岡遺跡の男女像の頭部は、この倭人伝の記述を彷彿させる。

絵画にみる男女の違い

男は狩猟、女は脱穀

弥生時代の絵画には、男女を区別して描いた例がある。
兵庫県桜ヶ丘神岡遺跡から出土し、香川県から出土したと伝える銅鐸絵画である。
脱穀をしている人は△頭に、狩猟や魚捕といった仕事を行っている人は○頭に描き分けられている。
世界各地の民族例から見ると、脱穀は女性の仕事で、狩猟などは男性の仕事である。
おそらく、△が女性を示し、○が男性を示しているのだろう。
頭部の形は、△頭が髷を、○頭が巻物を示していると、憶測する事も出来る。

土偶の男女像の大きさから分かる事

男と女、どちらが大きいのか?

渕ノ上遺跡例は女性像が大きいのに対して、岡遺跡例は男性像が大きい。
また、岡遺跡例の小型の方、坂井遺跡例や池上遺跡例は女性像であるにも関わらず、乳房が表現されていない。

弥生前期まで、女性社会だった?

渕ノ上遺跡例や、筒状の頭で乳房のない古井遺跡例と髷上の表現で乳房を持つ中屋敷遺跡例は弥生時代前期末、髷上の頭で乳房のない岡遺跡と坂井遺跡や池上遺跡例は中期である。
つまり、古い土偶形容器は女性像が大きく、女性像は乳房を表現していたのに対して、新しくなると男性像が大きくなり、女性像の乳房が欠落していく。
したがった、当初、女性表現が勝っていたが、男性表現が台頭して来るという変化が考えられるのだ。

弥生後期は、男性社会?

愛知県麻生田大橋遺跡では弥生前期の土偶が二体、土壙から出土した。
乳房がある方(女性像)が大きく、男性像はおよそ1/2と小さい。
土偶に使われている材積や出来栄え、頭部の造り分けに大きな差は無い。
よって、これらの造り分けは、男女差を表していると考えるのが妥当だ。
古い土偶程、女性が大きく、新しい土偶程、男性が大きいのだ。

縄文時代の土偶

女性像は多いが、男性像は僅か

男女の違いに対する表現を、縄文時代に遡ってみる。
最も古い縄文草創期の土偶には、大きな乳房がある。
早期の土偶も大きな乳房とくびれた腰を表現している。
中期のものは腹を膨らませており、妊娠した状態を表現したものもあり、座産の様子を表現した土偶や、乳児を背負ったり、抱かれた赤子に乳を与える子育ての状況を表現した土偶もある。
ここで重要な事は、女性を表現した土偶が多く存在するのに対し、男性を表現した土偶は、極めて僅かしか存在していないのだ。
男性の体の一部を象った石棒などは存在しているが、縄文時代には、男女を一対に表現した立体物は無いといえる。

縄文時代 男女の仕事の役割分担

世界的な民族例を見ると、土偶などの土器づくりは主に女性の仕事であり、石器生産は主に男性の仕事である場合が多い。
女性の土偶が多いのは、仕事の役割分担による影響があったのかもしれない。

農耕文化と男女の関係性

男女一対の観念と農耕文化とはどんな関わりがあったのか?
逆に、縄文時代の採集狩猟を基盤とする社会において、どうして、男女一対の観念が生まれなかったのか?

男女の役割が、完全に分れていた縄文時代

縄文時代の基本的な生業活動は、自然の生産物の採集と捕獲であった。
そのうちの遠征的漁労活動については、男性が主に担う労働である可能性が高く、同じく石器原料の獲得や石器生産、居住域を離れて行う狩猟活動にも、それは当てはまるだろう。
つまり、男性が家庭・集落を離れて行う狩猟・漁労活動を担当し、女性が集落の範囲で木の実の採集や火の管理、炊事や授乳などを担当していたと考えられる。
従って、縄文時代における基本的な生業活動の中で、男女の関係が補完関係にあるとはいえ、労働は基本的には性別によって区別されており、協業的な側面は少なかったと言える。
縄文時代までは、後の時代に比べ、男女別原理が働いていた可能性が高いのだ。

男女で協力していた農耕作業

縄文時代に対し、弥生時代では、農耕によって新たな生産物を獲得する手法が生まれている。
これは、多少の役割分担はあっただろうが、男女が同じ空間で協業の労働を行っていた。
人間の再生産における男女交合の役割は、農耕社会・非農耕社会を問わず根源的なものであるとは言え、食糧生産という生業を協力する事が、男女の役割分担の中における、男女一対の考えが生まれていったのだろう。

争いが生まれる事で、力が必要になる

さらに、農耕が始まる事で、耕地や水を巡る争いも激化するとなれば、特には集落単位での戦争にも発展していたかもしれない。
火を恐れない人間と敵対する為には、男性の筋力が必須であり、生活における男性の役割は次第に強まっていっただろう。

役割が変化する事で、男性の地位が高くなる

縄文時代の植物栽培がイモ類栽培に近い段階であったと思われ、それが弥生時代の灌漑を伴う水田稲作という本格的な植物栽培に移行する。
その過程で、女性中心の労働から男女協業の労働へ、さらには男性優位な労働へと変化した可能性は、非常に高い。
土偶形容器の大きさの逆転の理由は、ここにあるのかもしれない。


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