ブラウ(青)作戦

ブラウ(青)作戦

石油狙いの作戦が、主旨を外れ失敗に

1942年6月28日〜1942年11月24日

ドイツ軍は、カフカスの油田地帯を占領するためブラウ作戦を発動する。石油資源の獲得は戦争継続には必須であった。
しかし前年、独ソ戦においてソ連軍全戦線に攻勢を行ったドイツ軍は、南方に戦力を集中しての限定的な攻勢しかできなくなっていた。
そのような状況のなか、ブラウ作戦の作戦地域は、ロシア南部でボルガ河西岸への到達とコーカサス地域の占領まで含んだ、野心的なものであった。
作戦範囲を広範囲に広げすぎた事で戦力が分散してしまい、ブラウ作戦は失敗に終わった。

油田地帯の確保を目論むヒトラー

当初、作戦は現実的なものだった

1942年4月5日、ヒトラーはこの年の作戦を定めた総統指令を下達した。決定された「ブラウ(青)作戦」は、第一の目標がカフカスの油田に定められた。
そして油田地帯占領のため、ドン川前方の敵軍を撃滅して後顧の憂いを取り除き、カフカス山脈を越える通路を確保する、とされた。
戦争遂行を可能とする資源の確保が目的である、という点が明確に指示されたのである。

独ソ戦、戦線を広げすぎたドイツ

ソ連に戦争を仕掛けた事で補給が追い付かなくなった

前年のバルバロッサ作戦では、全戦線で攻勢を行い、ソ連の打倒を目指したが失敗、ドイツ軍は多大な損害を受けた。
もはや全戦線での攻勢は不可能となっており、戦力を南方戦線担当の南方軍集団に集中して攻勢に出ることとなった。

ドン川沿いソ連軍を撃滅したいドイツ

しかし、カフカスへ攻勢軸を向けると、進撃路の東側にソ連軍の反撃に対して脆弱な面を長く晒すことになる。それを防ぐため、ドン川沿いに展開されたソ連軍部隊を撃滅する必要があった。
そして、部隊撃滅に成功して東側の脅威を除けば、ボルガ川沿いの工業都市スターリングラードの攻略は必要ではなくなると考えていた。
都市を火砲の射程に置き、ボルガ川の水運を断つことで無力化すれば十分であるからだ。

作戦がソ連に漏れるも、ソ連は無視してしまう

6月17日、ドイツ軍にとって大変な不祥事が起こる。
作戦参謀が搭乗した偵察機がソ連軍の対空射撃を受けて不時着、作戦参謀は捕虜となり、携帯していたブラウ作戦の機密文書をソ連軍が入手したのである。
だが、スターリンはこれを「ドイツ軍による欺瞞工作である」と信用せず、対応策を講じなかった。

ブラウ作戦発動、ドイツが進軍開始

スターリンはドイツの狙いをミスリードしてしまう

6月28日、ドイツ南方軍集団は、ブラウ作戦による進撃を開始した。
スターリンは、ドイツ軍の戦略目標は依然モスクワであると判断したため、戦略予備はモスクワ周辺に拘置した。
南方のソ連軍は、第二次ハルキウ攻防戦での大敗もあって弱体化したままであり、南方軍集団はソ連軍前線を突破して前進していった。

ヒトラーが戦力を二方面に分割

作戦成功を誤認し、戦略を誤るヒトラー

作戦の第一段階を達成したと判断したヒトラーは、南方軍集団の進撃をカフカス侵攻とドン川とヴォルガ川に挟まれた地域の2方向に向けるべく、ヴィルヘルム・リスト元帥麾下のA軍集団とマクシミリアン・フォン・ヴァイクス上級大将麾下のB軍集団に分割した。

エーデルワイス作戦とフィッシュライアー作戦

A軍集団のカフカス侵攻は、「エーデルワイス作戦」と名付けられた。
B軍集団の任務には、ドン川とヴォルガ川の間の地域制圧にスターリングラード占領が加えられ、「フィッシュライアー(アオサギ)作戦」と命名された。

スターリングラード占領まで作戦に含めてしまう

こうして、元々ドン川流域のソ連軍を撃滅して、カフカス方面に突進するというブラウ作戦は、カフカスとスターリングラードに向けた二正面作戦となってしまったのである。

カフカス侵攻は順調だったが…

エーデルワイス作戦は順調に進んだ

7月26日、エーデルワイス作戦を発動したA軍集団は、最初の1週間で240キロを踏破した。
30日には、スターリングラードからクラスノダールを経てノヴォロシースクを結ず鉄道線を遮断した。

順調に油田に手を伸ばしていた

8月に入ると、10日、マイコプ油田を占領、12日、クラスノダールを占領、25日にはロストフとバクー油田を結ぶ鉄道線上の要衝モズドクを占領した。

戦力分割で補給が追い付かず失敗に

戦力不足で、A軍集団への補給が届かなくなる

しかし、ソ連軍が局地的反攻を行うなど防戦に努めると、侵攻は停止した。
何より大きいのは、A軍集団への補給が全く追いつかなくなったことであった。

結局、カフカス侵攻も座礁する

9月初頭までに戦線は膠着、カフカス山脈を越えることは望み薄となり、作戦の失敗は明らかとなった。

ヒトラーが自身を司令官とする

激怒したヒトラーは、A軍集団司令官リスト元帥を解任すると、なんと自らが後任の司令官となった。
またヒトラーの作戦介入に度々苦言を呈していた陸軍参謀総長フランツ・ハルダー上級大将も解任している。


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