日本暗号が解読された

日本の暗号は解読されていた

外務省&海軍の情報が米軍に筒抜けに

外務省&海軍の暗号がされていた

第二次世界大戦中、外務省や日本海軍の機械暗号は、米軍によって解読されていた。
暗号解読に力を入れていた米国と、同じ乱数表を使用し続けていた日本。
米軍は暗号解読で得た情報を活かして戦況を分析し、それを反攻作戦にも大いに役立てる。
情報戦の面でも日本側は後れをとっていた。

日本側も大戦末期に解読に成功していた

実は、日本陸軍も米国の暗号解読に成功しており、原爆を投下したB29の飛来そのものは解読により把握している情報であった(核兵器を意味する暗号文字だけが解読できず、原爆を積んでいる事だけは分からなかった)。

機械暗号、これまでの通説(誤り含む)
米軍は日本陸海軍の暗号を解読するために膨大な予算と人員を投入。太平洋戦争が始まって間もない頃には、海軍の暗号をほぼ完全に解読できるようになっていた。日本軍の作戦や艦隊の行動はすべて米側に筒抜けの状況だった。という、通説があったがこれは一部間違いで、暗号解読には日本側に致命的なミスがあった。

海軍・陸軍・外務省が別々の暗号

タイプライター式の暗号機

戦前の日本では海軍、陸軍、外務省がそれぞれ独自の暗号を開発していた。
外務省では1939(昭和14)年頃から終戦までタイプライター式の暗号機を使用していた。
「暗号機B型」あるいは「九七式欧文印字機」と呼ばれたもので、ドイツ軍が使用したエニグマ暗号機と同じ機能を持つ優秀な暗号機だった。

陸軍の暗号はガードが堅かったが…

また、海軍や陸軍でも同様の機械式暗号機を使用していたが、乱数表などを用いて外務省の暗号よりもセキュリティーを強化している。
陸軍はのちにワンタイプパッド(0TP)と呼ばれ、文字と同じ数だけの鍵を用いる複雑な暗号を開発。
理論上は解読不可能な域にまで到達している。

戦前には外務省の暗号が解読されていた

セキュリティ意識が非常に低かった日本

日本側には外務省や海軍、陸軍いずれの機関でも、平文で問題ない文書にまで暗号を多用する悪い癖があった。
暗号を多用して敵側により多くの研究データを与えれば、それだけ解読される可能性は高くなる。
セキュリティーに問題があった外務省の暗号などは、すでに戦前から米側によって完全に解読されていた。
日米交渉に関する日本政府の指示や思惑、対米宣戦なども、米側は外務省の暗号を解読することによって、すべて事前に知ることができた。

外務省暗号から、対米宣戦もバレていた

一方、開戦時は米側も日本海軍の暗号はまったく解読できず、そのため外務省暗号を解読して日本が宣戦してくることは知っていたが、真珠湾が奇襲されるとは夢にも思っていなかった。

海軍が暗号を過信、解読されてしまった

暗号のアップデートを怠った海軍

日本海軍で最も使用頻度の高かった「D暗号」は乱数表を使って機械式暗号をさらに別の文字に置き換える複雑な方式を採用している。
D暗号は世界各国の軍隊が使用する暗号のなかでも強度には定評があったのだが、海軍はそれを過信しすぎていた。
乱数表は頻繁に使用すれば解読される可能性が高くなり、それを防ぐためには逐次更新しなければならない。

情報が漏れ、ミッドウェー海戦で大敗

海軍の「D暗号」は米軍に解読されていた

だが、暗号を解読されているとはまったく考えず、同じ乱数表を使用し続けたのである。
そのため、ミッドウェー海戦の頃には、米側でもある程度の暗号解読が可能になっていた。
日本の艦隊がミッドウェー島に侵攻してくることも暗号解読によって事前に知っていたから、準備を整えて対処することができたのである。
ミッドウェー海戦の頃からアメリカの新聞では「海軍は日本軍の攻撃を事前に察知していた」と、暗号解読を連想させる記事も掲載されていたのだが、日本側に、それに注意を払う者はいなかった。

一年も解読されている事実を疑わなかった

「暗号を解読されているのでは?」と、海軍がやっと疑うようになったのは、山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機が、ブーゲンビル島上空で敵戦闘機の襲撃を受けて撃墜された時のことであった。
1943(昭和18)年の中頃になってからであり、ミッドウェー大敗から一年近くが経っていた。

日本陸軍も米国の暗号解読に成功していた

戦前から海外で工作に動いていた

潜入&盗撮などの手法

一方、日本でも米側の暗号解読に陸海軍の情報機関が取り組んでいた。
暗号解読を担当する日本陸軍参謀本部第二部は、戦前に台湾の英国公館や神戸の米国領事館などに密偵を潜入させ、暗号書や乱数表を盗撮させるなどの手荒いことをやりながら、米国務省が使用する暗号の解読に成功していた。

開戦後、アメリカが新しい暗号に切り替える

それも解読に成功していた

しかし、開戦直前になって米側ではより高度な暗号を使用するようになる。
ストリップ・サイファーと呼ばれる細い棒状になった変換装置を用いる多表換字式暗号は、この頃は世界で最も難解な暗号の一つ。
ドイツ軍もこの解読に努力したが、読み解くことはできなかった。
ところが日本陸軍は昭和18年(1943)頃になると、この暗号の解読に成功している。

米国務省と米陸海軍の暗号を解読

陸軍参謀本部は数学者や言語学者など1000人を超える暗号解読のスタッフを揃え、米国務省の暗号はもちろん、米陸海軍が使用する暗号についても、終戦までにある程度は解読できるようになっていたという。
電波の発信場所や状況、通信量などのデータと照らし合わせれば、米軍が次にどのような作戦をおこなうのか、かなり正確に探り当てることができた。

原爆投下時、B29の飛来も把握していた

原爆投下の直前にも、テニアン島から特殊な目的をもったB29が日本本土に向かって飛来してくることは、通信傍受と暗号解読により把握している。
しかし、核兵器を意味する暗号文字だけが解読できず、それが原子爆弾であることがわからなかった。
広島に原爆に投下された後、すべてを知った暗号解読班の担当者は悔しがったという。

日本の暗号機を尽く収集した米国

情報獲得に執念を燃やす米国の情報部は日本の暗号機をことごとく収集し、すぐに模造機を製作して日本側の暗号を解読していた。
日本が新たな暗号機を製作すると米側もすぐに入手して分析、暗号と子とことごとく解読していた。

日本の暗号機の模造機を徹底して作製

米軍が把握していた日本の暗号機械

米軍が把握していた日本の代表的な暗号機械は、日本海軍の暗号機械である九一式印字機(米軍命名IKA/MI-5)、日独海軍両用印字機のT-エニグマ暗号機(OPAL)、九七式印字機T型、同U型秘匿名「飛」(JADE)、同V型「茂」(CORAL)、外務省専用九七式欧文印字機B型、そして陸軍武官用印字機(JRL-4)である。

アメリカ製の解読模造機

これらの暗号機に対して米側は、九一式印字機には解読模造機のレッド・マシン、T-エニグマ暗号機にはM-8、外務省専用九七式欧文印字機B型にはパープルをそれぞれ製作している。

日本海軍の九一式印字機とは

九一式印字機は、太平洋戦争が勃発する前に使用が中止されていた。
しかし米海軍解読チームは、最初の古い機械暗号方式は、真珠湾攻撃以降に現れた他の暗号機械よりも純理論的な重要さは遥かに上回っていたと評価した。
この暗号機は1927(昭和2)年、東京築地海軍造兵廠内の電気研究所で製作された。
技師の田邊一雄、柿本権一郎(のちに海軍少将)を主務とする電機研究所が暗号機の試製研究を始めて、翌年3月「欧文タイプライター式暗号機」第1回試製品が完成した。
暗号機の用途は艦船用として原文を暗号文に、または暗号文を原文に作成・翻訳することで、双方の印字ができた。
さらにその機構、暗号内容及び性能の機密保持も確保するものであった。

欧文タイプライター機構

暗号機の要目は、欧文タイプライターの機構を利用して原文を打つごとに電気的回路を経て機械的に複雑な組み合せ変更を自動的におこなうもので、その原動力には発条(バネ)を用いていた。
1929(昭和4)年7月3日、海軍省第一会議室で「試製暗号機械」現物に関する説明がおこなわれた。
同時送受無線電話装置の特許を持つ服部正計大佐、柿本少佐、田邊技師が機構及び取り扱い法、伊藤利三郎中佐が実用的価値に関しての説明を担当した。

1930年に九一式印字機の原型が完成

1930(昭和5)年5月には、機械的に故障の多い原動力発条式を電磁式に換え、その他も部分的に大改良を施し、上下段各単独に変化する欧文タイプライター式暗号機改良型「試製電気式暗号機」9台が完成。
これは2年後に制定される九一式印字機の原型となるものであった。

尽く暗号機を入手され解読されていた

ローマ字式暗号機

1931(昭和6)年9月、外務省と陸軍省は海軍に委託して第2改良によるローマ字式暗号機を総計24組製造し、ジュネーブ会議で大いに重宝した。
この暗号機は試製電気式暗号機の安全装置を改良、ローマ字式としたものであった。
1934(昭和9)年7月には、欧文タイプライターの応用暗号機で、1字打つごとに位置を変更する構造の原動力に発条を用いた「暗号構成機」を完成させた。

米側からレッドマシンと呼ばれた暗号機

また1932(昭和7)年7月4日には、九一式印字機T型実験報告書が田邊技師と鈴木技手により作成された。
その結果、九一式印字機T型、U型、V型として3種類制定された。
九一式印字機T型の使用は1932年から1935年まで、九一式印字機U型は1936年から1937年まで、九一式印字機V型は1938(昭和13)年まで使用された。
米側はこれをレッド・マシンという暗号名で呼び、多くの日本電文を解読していたのである。

米に盗まれたドイツ製の暗号機械

日本が購入した機会が最初から解読されていた

また、ドイツと類似した暗号機械Tripits(米軍命名OPAL)は、ドイツが日本用に製造したものであった。
しかし1944(昭和19)年8月、米軍はフランス・ロリアン港を奇襲し、車に積まれていた600台のエニグマ暗号機を持ち去った。
日本はこの事実を知らないまま、ドイツに暗号機を請求した。
ドイツは米軍に持ち去られた事実を伝えることなく、欧州の海軍武官にこの暗号機械を送付している。
そして同年9月、スウェーデン、スペイン、スイス、ポルトガルの日本海軍武官は、この暗号機を使用するようになるが、米解読陣は携帯用M-8解読機を完成。
欧州海軍武官の電文は解読される運命となった。

暗号解読に対する米国の執念

米国の情報部は日本に対する情報獲得に執念を燃やし、暗号機をことごとく収集。
すべて解読していたのである。


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