山本五十六

山本五十六

山本五十六(1884〜1943)は太平洋戦争中の連合艦隊司令長官。
真珠湾攻撃ミッドウェー海戦などの大戦初期の作戦の指揮をとる。
日独伊三国同盟において、米国・英国らとの対立を避ける為に反対していたという。
巡視飛行に出る情報が敵に漏れ、ブーゲンビル島上空で要撃され戦死する。

山本五十六

山本五十六

日米国力差を埋める為、先手必勝を狙う

1940年、日独伊三国同盟が締結されたとき、山本五十六は西園寺公望の秘書に次のように話している。
「いよいよ三国同盟をやって、或る場合には米国と戦わなければならないような結果にまでなるという怖れがあるので、海軍は重大な責任を負わなければならないが、今日の軍では到底海軍は物足らない」

ドイツ・イタリアとの同盟に反対していた

山本はドイツ・イタリアとの同盟にメリットよりも、米国を刺激するデメリットを危惧していた。
また、米国と戦うには日本は軍備不足だと認識していた。
山本は駐米武官などを務めており、日米の国力差を知り尽くしていたのだ。
司令官として米軍と戦ったが、決して戦争を望んでいた訳ではなかった。
勿論、山本に限らず、当時の海軍軍人の多くがそう感じていた。

ストイックに仕事に励んだ

しかし、そういった事情は了解した上で、米国と戦う場合を想定して行動していた。
「自分は連合艦隊の長官として、必要な資材、整備については色んな注文を出す」と山本は大臣と軍令部総長に頼んだと述べている。
諸処の事情は政治家や軍の事務方が調整すべき事であり、自分がやるべき事は、国家戦略に沿って戦う事だと認識していたのだろう。

米国との国力差を踏まえた作戦を構想

軍備不足から短期決戦が求められる事になり、作戦は相手の機先を制する奇襲に主眼が置かれた。
これが、山本は戦略家だったという今日の評価に繋がっている。
結果として敗北したが、決して山本が誤った行動を取ったとは言えない。

ミッドウェー海戦で大敗

真珠湾攻撃は、海軍の担当部署以外は海相の島田繁太郎、首相兼陸軍大臣の東条英機しか知らない極秘作戦が結構された。
しかし山本が、開戦直後に米国に壊滅的損害を与えて士気を喪失させる構想だったのに対し、海軍が軍備の喪失を恐れていた。
結果、「ある程度の損害を与える事」が目的となってしまい、日本側の行動は中途半端な結果に終わってしまう。
そして、元々、戦争に疲れていた筈の米国世論は、逆に日本との全面戦争を望むようになる。
半年で戦況は反転、ミッドウェー海戦では大敗を喫し、日本は劣勢となった。

飛行中に要撃されてしまう

山本は司令長官ながら前線へ出向き、「い」号作戦などの挽回作戦を指揮。
1943年、巡視飛行中に要撃され、戦死した。
その巡視は、先のガダルカナル戦を援助してくれた陸軍部隊を海軍代表として労おうという、山本の律儀な気遣いから来た行動だといわれている。


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