東京オリンピック1964

東京オリンピック1964

東京オリンピック開催が決定した日本では、1964年10月10日の開会式を目標に、新幹線や高速道路が整備されていった。
世界的イベントの開催で、日本は戦後復興を世界に印象付けた。

公共事業と消費の好調で五輪景気が出現

戦後初の日本でのオリンピック

1959年5月、ドイツのミュンヘンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、第18回夏季オリンピック大会の開催地が東京に決定した。
東京は1940年の第12回大会の開催地に決定してた、日中戦争の激化で返上(その後、第二次世界大戦の勃発でオリンピック自体が中断)した過去がある。
この幻のオリンピックから24年後、主権回復から12年後に当たる年の東京オリンピック開催が決定
東京は連合国軍による占領を脱した2年後の1954年に1960年夏季大会開催地に立候補したが、翌1955年の第50次IOC総会における投票でローマに敗れていた。

1964年夏季オリンピック 開催地投票

都市投票数
東京日本34
デトロイトアメリカ合衆国10
ウィーンオーストリア9
ブリュッセルベルギー5

オリンピック景気

以後、日本は国の一般会計予算(64年度:3兆3110億円)の1/3に迫る1兆800億円という予算を投じ、オリンピックの準備を進める。
予算の大部分は東海道新幹線首都高速道路といったインフラ整備の費用で、これらの公共投資やホテルなどの建設需要、さらにテレビをはじめとする耐久消費財の購買意欲向上により、オリンピック景気と呼ばれる好況に沸いた。

大盛況となった東京五輪1964

こうして迎えた大会で、日本はアメリカ、ソ連に次ぐ、16個の金メダルを獲得。
戦後の荒廃から立ち直り、高度経済成長期に入った日本人は、選手たちの活躍に「世界に追い付け、追い越せ」という自らの思いを投影し、熱狂した。
また、競技運営に関しても、きめ細かな運営姿勢がIOCや参加各国から賞賛された。
この大会の様子は、オリンピック初の衛星中継で世界中に放映され、国内外に「日本の復興」を強く印象付けるイベントとなった。
また、東京オリンピック1964は、有色人種国家における史上初のオリンピックでもあった。
さらに、アジアやアフリカにおける植民地の独立が相次いだ事もあり、過去最高の出場国数となった。

開会式の日は一時期「体育の日」に

開会式は10月10日、閉会式は10月24日に行なわれた。
開会式の10月10日は、1966年(昭和41年)以降「体育の日」として親しまれるようになったが、「体育の日」は2000年(平成12年)より10月の第2月曜日となっている。

東京五輪1964のインフラ整備年表

西暦出来事
1953年日本が世界銀行からの借り入れを開始
以後、借入は31件、総額8億6300万ドルに上った。
1959年IOC総会で開催地が東京に決定
1961年東海道新幹線建設のため世界銀行から8000万ドルを借り入れ
1962年首都高速道路(京橋〜芝浦)開通
1963年名神高速道路(栗東〜尼崎)開通
1964年8月 首都高速道路(空港西〜初台)開通、羽田空港から選手村や国立競技場のある代々木などが接続された。
10月1日 首都高速道路(浜崎橋JCT〜芝公園など)開通し、オリンピック関連道路が完成
10月1日 東海道新幹線(東京〜新大阪)開業
10月10日 東京オリンピック開催
1965年名神高速道路全線開通
1968年東名高速道路一部開通
1969年東名高速道路全線開通
1970年日本万国博覧会(大阪万博)開幕
アジアで開催された初の国際博覧会で、入場者数は6400万人を超えた。
1990年世界銀行からの借り入れを完済

↑ページTOPへ