鉄道と新幹線

鉄道の発達と新幹線

戦後日本の経済発展のなか、鉄道網は全国に広がった。
黒煙の時代から電気の時代、そして新幹線の時代が訪れ、鉄道輸送は高速化、移動時間の短縮が進んでいった。

昭和39年の全線高速試運転の模様

昭和39年、新幹線の全線高速試運転の模様
並行する道路には車を止めて見物する人々が大勢いる

蒸気から電気へ

終戦まもなくは蒸気機関車も活躍

日本では、戦前から主要な幹線を中心に鉄道の路線網は形成されており、昭和30年代には、ローカル線を中心とした路線の拡大が進められていた。
当時、東京、大阪の中心部の路線は電気化されていたが、都市間を結ぶ幹線やローカルの殆どは未電化で、全国で黒煙を噴き出しながら走る蒸気機関車の姿が見られた。

東京〜大阪の日帰りが可能

高度経済成長期の昭和31年(1956)には、東海道本線が全線で電化
2年後の33年には東京〜大阪間を「こだま」号が6時間50分で結んだ。
初めて鉄道による東京〜大阪の日帰りが可能となったのだ。
また、寝台特急「あさかぜ」が登場し、「動くホテル」として親しまれる事になった。

蒸気機関車→電車→電気機関車と進化

このように、幹線を中心に蒸気機関車から電車、電気機関車へと変わっていったのだ。
また、昭和36年には全国各地の幹線で特急・急行の大増発がなされ、未電化区間で活躍するディーゼル動車も登場した。
昭和30年代後半から、鉄道にも時間短縮、高速化の波が到来しつつあったのだ。

蒸気機関車が役目を終える

それまで輸送の中心に蒸気機関車は、スピードアップや輸送力増強の要請、エネルギー効率の問題、コスト削減といった課題から、徐々に姿を消していった。
電車、ディーゼル動車の登場によって、昭和50年には旅客輸送から、翌年には貨物輸送からも撤退し、昭和20年代に約5000両あった蒸気機関車は姿を消す事となった。
鉄道開通から約100年、蒸気機関車は役割を終える事になったが、現在でも愛好家が多くおり、全国各地でイベント的に運行される事もあり、今も稀にその雄姿を目にする事が出来る。

昭和29年、青森・浅虫海岸を走るSL

昭和29年、青森・浅虫海岸を走るSL

新幹線の開通

東京・大阪間を3時間弱で行き来

昭和30年代、東京〜大阪間の利用が急増し、東海道線の輸送力増強が急務となった。
そこで、日本の鉄道技術の威信をかけて誕生したのが新幹線であった。
昭和39年10月1日、東京オリンピック1964開催の10日前に東海道新幹線は開通した。
当初、東京〜新大阪間は「ひかり」で4時間掛かっていたが、翌年には3時間10分に短縮された。

昭和39年東海道新幹線の出発式

昭和39年、東海道新幹線の出発式

新幹線の運賃

新幹線(東京-新大阪)の運賃・特急料金だが、昭和40年には1180円(特急1600円)、昭和50年で2810円(特急2200円)、昭和60年で7200円(特急5000円)、平成17年には8510円(特急5240円)程であった。
年々、高くなっているのが分かる。

新幹線建設が国家事業へ

昭和47年には山陽新幹線が岡山まで開通し、昭和50年に博多まで延長された。
また、昭和45年には「全国新幹線鉄道整備法」が制定され、政府主導で新幹線建設が進められる事になった。
新たな路線として東北や上越を結ぶ新幹線も建設され始めた。

新幹線が西から東まで開通

平成になると、既存の線路を活用したミニ新幹線として山形、秋田新幹線が相次いで開通。
続いて長野新幹線が開通し、東北新幹線も八戸まで延長された。
平成16年(2004)には九州新幹線も開通し、2022年には長崎まで新幹線が開通、西から東まで新幹線網は全国規模で拡大していった。
旅客輸送の中心として、利用客も年間3億人近くまでに増加している。

空と陸での競争が始まる

そして、新幹線開通による大幅な時間短縮は、航空機との所要時間競争を産んだ。
新幹線登場以後に廃止されて航空路線も多く、東京〜大阪間、東京〜秋田間などでは利用客獲得を巡る熾烈なサービス合戦が行われている。

新幹線開通による在来線の廃止も問題に

新幹線が開業する地域には、地域の足だった在来線が廃止、または第三セクターに移管される現実もある。
こうした並行在来線の問題を抱えつつも、新幹線は地域の住民の期待を集めている。


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