大平正芳内閣

大平正芳内閣

大平正芳内閣は1978年(昭和53)12月7日に発足。
大平は、東京サミットで討論のすえ必要分の石油輸入枠を確保する交渉力、後にAPECに繋がる環太平洋連帯構想を打ち出す先見性など、優れた政治手腕を持った総理であった。
四十日抗争やハプニング解散で消耗し、選挙中に首相在任のまま死去した。
大平正芳内閣を簡単にまとめる。

農家の生まれの大平正芳(1910-1980)

香川県の農家の三男として生まれ、苦学して東京商科大学(現・一橋大学)に進み、大蔵省に入省。
終戦後、政治家の道を選び、池田内閣で官房長官、外務大臣、佐藤内閣で通産大臣、田中内閣で外務大臣を務め、日中国交回復に貢献した。
口の重さから「アーウー宰相」「讃岐の鈍牛」などと揶揄されたが、膨大な読書量に裏打ちされた知性や、確かな先見性を持っていた。

【先見性に富んだ大平】APECを生んだ環太平洋連帯構想
戦後の総理は、みなアジアとの協調の可能性を探ってきた。大平は、そこからさらに一歩踏み出し「環太平洋連帯」という構想を打ち出す。その構想を具体化するために環太平洋連帯研究グループという諮問機関を設置し、積極的に各国を訪問した。大平は、日本は海洋国家であり、太平洋を取り囲む国々と連帯していかなければならないと考えていた。環太平洋諸国といっても、工業国、農業国、資源の有無など、各国の状況はさまざまに違うので「ゆるやかな連帯」を目指すべきだというのが大平の考えだった。大平はオーストラリアのフレーザー首相と「環太平洋連帯構想」について議論を重ねる。これが1980年9月の第一回環太平洋共同体セミナーへとつながり、民間レベルのPECC(太平洋経済協力会議)に進展し、このPECCが、政府間レベルのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に発展するのである。しかし大平はそれを見ることなく、急逝した。

大平内閣発足(1978年12月)

1978年12月7日、大平正芳は総理に就任した。
掲げた課題は、財政再建と国際社会との協調、日本文化の見直し、地域や家庭の基盤充実など多岐にわたった。
しかし、政権発足まもなく国際問題が大平内閣を直撃する。

ダグラス・グラマン事件

次期主力戦闘機導入に絡むアメリカの航空機製造会社ダグラス、グラマン両社の海外不正取引疑惑で、自民党の政治家の名が出てくる。
(ダグラス・グラマン事件は、1970年代末に発覚した日本とアメリカ合衆国の軍用機売買に関する汚職事件)

イラン革命と石油危機(1979年)

1979年(昭和54)2月のイラン革命で、第二次オイルショック(石油危機)が引き起こされる。

【第二次オイルショック】イラン革命起こる
産油国イランのパーレビ王朝は、第二次世界大戦後、アメリ力を後ろ盾に国民を弾圧した。国外に追放されていたイスラム教シーア派の最高指導者ホメイニ師は王制打倒を呼びかけ、1979年2月に王朝は崩壊、ホメイニ師が帰国してイランは共和国となる。この政変で石油輸出が中断し、第二次オイルショックが起きた。

自民党擁立の鈴木俊一が都知事に

問題づくしだが選挙では自民が常に優勢

与野党伯仲状態の国会では、1979年度予算案の審議が難航する。
結局、予算案は、衆議院予算委員会では否決されたものの、本会議では逆転可決となった。
しかし、4月の統一地方選挙では、12年にわたり革新都政が続い東京都知事選で、自民党が擁立した鈴木俊一が当選したのをはじめ、全国15の知事選で自民公認・推薦の候補者全員が当選した。

東京サミットを無事に成功させる

6月28〜29日の東京サミットも成功のうちに幕を閉じた。

【米国の助け舟】東京サミット石油輸入量をめぐる論争
1979年6月28日、第五回主要先進国首脳会議、東京サミットが開幕し、アメリカのカーター大統領、イギリスのサッチャー新首相、フランスのジスカールデスタン大統領、西ドイツのシュミット首相、イタリアのアンドレオッチ首相、カナダのクラーク新首相の各国トップと、ジェンキンス欧州委員会委員長がテーブルにつく。中心議題は石油問題だった。イラン革命後、OPEC(石油輸出国機構)は原油価格の引き上げを断行し、最初の2か月で1バレル(約159リットル)当たりの原油価格は12.5ドルから30ドルへと急上昇した。国際エネルギー機関(IEA)は理事会を開き、石油需要を5%削減することで合意し、各国の1979年石油輸入量が定められた。これを受け、東京サミットでは石油輸入量抑制の数値目標が討議された。フランスは、1985年まで毎年の石油輸入量を1978年水準まで抑えることを主張し、域内に油田をもつ各国は同意する。しかし、日本だけは、数値目標の設定は1979年と1980年の2年に限りたいと主張する。1978年水準の523万バレルでは作成中の「新経済社会7か年計画」を達成できないからである。孤立する大平に、カーターから、「日本だけが1985年の輸入目標を690万か630万バレルと幅を持たせてはどうか」との助け舟が出され、望む石油輸入枠を確保できた。

総選挙で消費税導入を掲げる(1979年10月)

外交分野で難関を乗り切った大平は、この勢いに乗って与野党伯仲の状況を打破しようと、解散総選挙を考えはじめる。

選挙の直前に消費税の話を持ち出した大平

大平は総選挙で財政再建を訴え、赤字国債発行中止のために、日本初となる売上税(一般消費税)の導入を打ち出そうとした。
党内からは猛反対にあうも大平は諦める事無く、9月の臨時国会で、あらためて売上税(消費税)の導入に触れる。

野党反発、解散総選挙に踏み切る

野党は反発し、内閣不信任案を提出した。
大平はすぐに衆議院を解散し、総選挙に踏み切る。

選挙戦の途中に消費税導入を引っ込める

当初は消費税導入を訴える選挙戦を展開したものの、党内から「これでは戦えない」という声が出て、ついに消費税を争点から引っ込める事になる。

自民大敗、40日抗争へ

案の定、大敗する

10月の投票の結果は、自民党の過半数割れで敗北となった。

大平に退陣を迫る「40日抗争」

党内では大平批判が火を噴き、再登板を考えていた福田赳夫らは大平に退陣を迫る。
ここに「40日抗争」と呼ばれる、福田を中心とする反主流派との争いが始まる。

逃げる大平が内閣改造

11月9日、大平落としから逃げる大平総理は、第二次大平内閣を発足させた。
しかし、年が明け1980年(昭和55)に入ると、またも難問が降りかかってきた。

ラスベガス事件発覚(1980年)

浜田幸一がカジノで負け借金

衆議院議員浜田幸一が1973年、アメリカ・ラスベガスのカジノで一晩のうちに約4億6000万円負け、実業家の小佐野賢治から借金して支払ったことが発覚した。

ロッキード社からの賄賂金で返済

その金がロッキード社から小佐野に渡った賄賂の金だとアメリカ議会で証言があったことが切っ掛けとなった。

浜田のせいで大平も窮地に

大平に近い人物とされていた浜田は、格好の攻撃材料となり、この年に行なわれた総選挙で自民党の公認が得られず、出馬を取りやめる。

KDD事件

次から次に出る汚職事件に自民が絡む

さらに、KDD(国際電信電話株式会社)の社員による関税法違反事件をきっかけにして、乱脈経理、190人もの政治家への政治献金のバラまきが明らかになり、KDDの前社長らが逮捕、起訴される。

政治家や、当時の監督官庁であった郵政省の役人らへの過剰接待も問題となり、自民党に対する野党の追及は激しさを増した。

ハプニング解散

自民党の議員らが大平を庇わなくなる

5月16日、社会党は内閣不信任案を提出、自民党内の反主流派69人が欠席し、内閣不信任案は可決されてしまう。

衆議院解散

大平は、精神的にも肉体的にも疲労困憊していたが、それでもすかさず衆議院を解散する。

日本初の衆参同日選挙(1980年6月22日)

参議院選挙は既にその日に決まっていた

その結果、すでに決まっていた参議院選挙と同じ6月22日に、衆議院総選挙が行なわれることになった。
日本初の衆参同日選挙である。

大平急逝、影響で自民党大勝

しかし、誰も予想しない事態が待ち受けていた。
投票日の10日前、大平が急逝したのである。
現役総理の弔い選挙と化した選挙戦の結果、自民党は勝利を収めた。

衆参同日選挙とは
衆参同日選挙が行なわれたのは過去に2度だけで、1980年6月22日と1986年7月6日であった。いずれも与党の自民党が勝利し、野党第一党(ともに社会党)が敗北したため、同日選挙は与党に有利とされる。衆議院が解散した状態で参議院選挙期間だと国会が事実上開けず、政治的空白が生じてしまう。また、国民からすると、現選挙制度では衆議院・参議院ともに小選挙区と比例代表区があり、その比例代表区の仕組みは衆参で異なっている。有権者は複雑な制度を理解し、合計4回も投票しなくてはならなかった。

大平内閣時の主な出来事年表

1978年(昭和53)

  • 12月7日 大平正芳内閣発足

1979年(昭和54)

  • 1月1日 米中国交樹立
  • 1月16日 イランのパーレビ国王 エジプトに亡命
  • 1月17日 国際石油資本(メジャー)が対日原油供給削減を通告
  • 2月11日 イラン革命
  • 2月14日 ダグラス グラマン戦闘機不正取引疑惑で衆議院予算委員会が証人喚問を行なう
  • 3月28日 アメリカのスリーマイル島で原発事故
  • 4月30日 訪米してカーター大統領と会談 日米間の関係強化を申し出る
  • 5月9日 フィリピンで国連貿易開発会議(UNCTAD)に出席 日本の総理の出席は初めて
  • 6月18日 米ソが第二次戦略兵器制限条約(SALT2)に調印
  • 6月24日 カーター米大統領来日 石油問題で意見交換。6月28〜29日に東京サミット開催
  • 10月7日 衆議院総選挙で自民党が敗北 党内で主流派・反主流派間の「40日抗争」が始まり11月16日に終結
  • 10月26日 韓国の朴正熙大統領が暗殺される
  • 11月4日 イラン米大使館で人質事件発生
  • 11月9日 第二次大平内閣発足
  • 12月5日 大平総理が訪中して華国鋒首相 ケ小平副首相らと会談
  • 12月21日 衆参両院本会議において「財政再建に関する決議案」を採択
  • 12月27日 ソ連がアフガニスタンに軍事介入

1980年(昭和55)

  • 1月10日 社会・公明両党が連合政権構想で合意
  • 1月15日 オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニアを歴訪
  • 1月17日 環太平洋連帯構想演説
  • 4月5日 KDD事件で前社長を逮捕
  • 4月30日 大平総理がアメリカ・メキシコ・カナダ歴訪に出発
  • 5月16日 内閣不信任案可決
  • 5月19日 衆議院解散
  • 5月24日 日本オリンピック委員会 モスクワ・オリンピック不参加を決定
  • 5月27日 中国の華国鋒首相来日
  • 5月30日 石油代替エネルギー開発・導入促進法を公布
  • 5月31日 大平総理入院
  • 6月12日 大平総理急逝
  • 6月22日 衆参同日選挙で自民大勝

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