配給の品目と実態

配給の品目と実態

生活必需品を国が国民に支給する制度

代金は必要、分量は少なかった

配給は、需要(国民)に対して供給が、不足する食料品やその他の生活必需品を公平に分けるための制度。
配給切符・購入券などは事前の登録に基づいて市町村役場から町内会・部落会・隣組を経て各家庭に配給された。
切符などは配給を受ける権利を証明しているだけで、購入に関しては支払いが必要だった。
隣組単位で配給になる物資は、分量が少なくすべてに行き渡らないこともあり、くじ引きや輪番制が取られた。

終戦時35品目、あらゆる必需品が配給制

配給切符制は、1940(昭和15)年6月から6大都市(東京・大阪・名古屋・京都・神戸・横浜)において砂糖とマッチで実施され、同年の11月には全国に広がり、終戦時には35品目にも及んだ。
時期や配給量は地域により異なる。
東京市を例に主なものをまとめる。

配給の主な品目

砂糖
昭和15年6月から切符制。家族14人まで一人360グラム。
マッチ
昭和15年6月から切符制。家族6人までは、2カ月で小型一箱。計算すると1日5本程度で、とても足りるものではなかった。
米穀
昭和16年4月から通帳制になり、当初は成人男子1日当たり330グラムが基準で性別、年齢、労働の種別によって一六区分されていた。戦争の拡大進行に伴い、基準の切り下げが再三行われ、昭和18年頃からは精白歩合を七分搗き、五分搗き、あるいはそれ以下に落としたり、米の配給枠内にイモや豆類が組み込まれたりするようになった。
米穀(外食者)
自炊できない人や働いている人は、通帳と必要書類を持って役所に行くと外食券が給付された。労働の激しさに合わせて支給される量が違い、普通人は1日110グラム(炊きあがり量の約340グラム)、普通増量の労働者が1日130グラム、特別増量の労働者が1日190グラム。外食券1冊30枚綴りで、毎月給付を受けた。
小麦粉
昭和16年4月より切符制。家族1人1日188グラム、2〜3人1日375グラム、4〜7人1日562グラム、8〜15人1日750グラムを配給。
酒類
昭和16年4月より切符制。清酒は6カ月に一世帯当たり4合の配給で、応召や入隊、帰還、冠婚のような場合は酒一升の特配があった。ビールは、一世帯につき月2本から4本ずつが切符制で配給された。購入する際には切符に加えて空瓶と王冠を渡すことが配給の条件となった。
木炭練炭
当時、家庭の燃料は木炭・練炭・薪が主流だったが、昭和16年5月より通帳制となった。燃料の節約は必須となった。
魚類
昭和16年11月から登録票により配給。にしん、塩ざけ、ますなどが7日ないし10日間に一度の割合で、1人当たりごくわずかな量が配給された。時々配給されたサメは悪臭が強く、口にするのに閉口したという。
昭和17年1月より購入券により、家族19人までは1ヶ月に1人当たり200グラムを配給。
衣料品
昭和17年2月より切符制。年1回発行で、1人当たり100点。
味噌・醤油
昭和17年2月より通帳制。年2回発行。味噌1ヶ月1人当たり686グラム、醤油3.7合。
パン
昭和17年5月、妊産婦・幼児に1ヶ月当たり1食(菓子パン3個)。
青果物
昭和17年11月から、年2回発行の購入票により購入。ただし入荷量によって増減がはなはだしく、葉っぱばかりが続く時もあった。昭和18年からは配給店を通じて輪番制で配給するシステムがとられた。野菜の配給量は、18年1人1日187グラム、19年93グラム、20年1月30〜63グラム、20年2月26グラム。
たばこ
昭和19年2月から成人男性1人当たり1日6本

上記以外の配給品目

このほか、食用油・飲用牛乳・正月用もち米・正月用肉・家庭用綿・地下足袋・家庭用タオル・手拭・毛布類・馬鈴薯・菓子・豆腐・油揚げ・海苔・鶏卵・塵紙・石鹸・洋傘・水に至るまで拡大された。


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