戦後の急成長を経た日本各地では、都市の拡大と町村の減少が進み、市町村数は約8分の1となった。
合併に期待される地域経済の発展と、地域住民が抱える問題とはどんなものなのか?
高度経済成長期は、周辺市町村を吸収する形で都市が膨張する時代でもあった。
人口30万人以上の市に限っても、昭和35年(1960)には全国に21市であったものが、平成12年には60市を超えるまでに増加している。
こうした都市は、人口増加だけでなく、いくつかの市町村が合併をする事でも誕生したのだった。
その代表的な例として、昭和38年に、門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5市が合併して生まれた「北九州市」があげられる。
複数の市が合併した市は、地域経済の発展、様々なインフラ整備といった面に大きな期待がある。
しかしその一方、歴史・文化が異なる地域が合併する事で、地域住民間に溝が生じる事もあるのだ。
すこし時代が移るが、平成17年(2005)4月、静岡市が全国14番目の政令指定都市となった。
新たに設けられた行政区は、葵区、清水区、駿河区と名付けられ、南アルプスの山でも、住所に区が表記される事となった。
平成15年に静岡市は清水市と合併し、人口約70万人の都市となった。
旧静岡市、旧清水市時代には、それぞれの市域の周辺町村を多数合併している。
戦前から、周辺地域の合併を進めていた両市は、昭和30年代までに、安倍郡、庵原郡の10を超える町村を合併し拡大していった。
昭和44年には、旧静岡市は安倍郡の6つの村を合併し、南アルプスの山々もこの時に静岡市に編入された。
続いて静岡市は周辺の蒲原、由比町との合併を予定しており、拡大する市の面積は1411km2に達しようとしている。
静岡市は政令指定都市として、都道府県から行政上の権限を幾つか委任され、独自性を持った都市計画や行政運営を行う事が可能となった。
ただ、周辺地域を大幅に合併している政令指定都市では、生活基盤や交通基盤の整備に多くの財源を費やすなど、財政事情に問題を抱える事態を生んでいる。
昭和28年当時、全国で市町村は約1万あった。
政府は、市町村の事務増加の問題を打開するために、「町村合併促進法」を制定し、人口8000人を目途に市町村合併を進めた。
これが「昭和の大合併」である。
昭和31年までに、半分以下の約4000の市町村に再編された。
その後は、都市の発展に伴う周辺の市町村との合併が進められた。
平成に入ると、全国約3000の市町村を1000から800、最終的には300にまで合併を進める「平成の大合併」が注目された。
この大合併の目的は、国の財政で大きなウエイトを占める地方交付税や補助金を削減して、国の財政再建を行う事であった。
加えて、地方の財政基盤を強化し効率的な行政サービスを行い「地方分権」を進めていく事を目指している。
ただし、合併の動きは、政府の目標には遠く及ばず、1800という結果に終わっている。
これは各市町村の思惑の違いだけでなく、合併には地域の歴史の象徴である名前の消滅や、行政サービスの低下といった「マイナス面」もあり、また、住民不在で進む合併協議に地域住民が反対の声を上げる例も多いからだ。
一方、独自のやり方で地域振興を行う市町村も多く、福島県の矢祭町や長野県の小布施町では、高い行政水準を維持するなどの成果を上げている。
このように市町村合併は地域の歴史や文化に関わる問題であると同時に、住民の生活に直接影響する大きな問題なのである。
昭和 | 出来事 |
---|---|
20 | 市→205 町→1797 村→8518 |
22 | 市→210 町→1784 村→8511 新憲法下で「地方自治法」を施行 |
28 | 市→286 町→1966 村→7616 「町村合併促進法」、これが「昭和の大合併」となる。町村の基準人口を8000人程度に定め、行政事務の合理化を促進した。 |
31 | 市→498 町→1903 村→1574 「新市町村建設促進法」施行。市町村数は半分以下になる。町村の平均人口は、28年→31年で5396人→1万5871人へ。平均面積は、28年→31年で34.89km2→104.08km2へ。 |
37 | 市→558 町→1982 村→913 10年間の時限立法「市の合併の特例に関する法律」が施工し、合併ブームが訪れる。 |
38 | 北九州市(福岡県)が誕生 |
41 | いわき市(福島県)が誕生 |
42 | 東大阪市(大阪府)が誕生、複数の市町村が合併した |
50 | 市→643 町→1974 村→640 「市の合併の特例に関する法律」施行、その後は10年ごとに延長 |
60 | 市→651 町→2001 村→601 |