第一次世界大戦

第一次世界大戦

サラエボ事件を切っ掛けに勃発した第一次世界大戦。
1914年から18年の4年間続いたこの戦争は、ヨーロッパ中を巻き込んだ史上初の総力戦となり、戦争当事国を消耗させた。
両軍合わせて70万人以上といわれる多大な犠牲者を出したこの戦争は、後に第二次世界大戦へ繋がる、大きな禍根を残してしまう。

膠着する戦線と果てしない消耗戦

1914年6月に起きたサラエボ事件(皇太子夫妻射殺事件)を切っ掛けにオーストリアがセルビアに宣戦布告すると、ドイツもロシア・フランスに宣戦した。
続いでイギリスも参戦し、戦争は三国同盟諸国と三国協商諸国が全面衝突する第一次世界大戦へと発展した。

ドイツを中心とした西・東部戦線

短期決戦を目論んでいたドイツは、西部戦線ではベルギーの中立を侵してフランスに攻め込み、パリ近郊まで迫ったが、9月のマルヌの戦いで進撃を阻止されると戦闘は塹壕戦に突入した。
一方、東部戦線では、ロシア軍の進撃をタンネンベルクの戦いで破ったドイツ軍がポーランドやリトアニアを占領したものの、やはり戦闘は膠着状態となった。

戦争が長引き、ドイツで内部分裂が起こる

長期化した戦争は、女性や植民地の住民を含めた国民全体の協力体制を必要とする総力戦の様相を呈し、各国国内では、社会主義者の多くも戦争に賛成した事で、挙国一致体制が成立した。
しかし、果てしない消耗戦が続くと、国民の間では次第に厭戦機運(えんせんきうん)が高まり始める。
特にイギリスの海上封鎖により物資の欠乏に苦しんだドイツでは、17年に戦争の継続に反対する一派が社会民主党から分かれて独立社会民主党を結成し、大規模なストライキを繰り返した。

戦局を一変させたアメリカの参戦

膠着状態に陥った戦争が転機を迎えたのは1917年であった。
同年、ドイツが中立の国の商戦も攻撃対象とする無制限潜水艦作戦を宣言すると、これに反対したアメリカがドイツに宣戦する。
戦局は連合国優勢へと大きく傾く事になった。

反乱を切っ掛けに、ドイツが降伏

同年11月にロシアで革命が起こり、翌年ドイツと単独講和を結ぶと、ドイツは西部戦線で最後の攻勢に出る。
しかし、戦局の打開は出来ず、11月にはキール軍港で起きた水兵の反乱を切っ掛けにドイツ革命が起こり、ヴィルヘルム2世が退位、休戦条約が結ばれた。

大戦の特徴

新兵器の導入と犠牲者の増大

戦車、飛行機などの新兵器が登場し、戦い方が大きく変化した事も第一次世界大戦の特徴である。
特に機関銃の登場は歩兵の突撃を困難にし、双方が塹壕を掘って睨み合う膠着状態を作り出した。
また、犠牲者の数も飛躍的に増大し、1916年のヴェルダン要塞攻防戦と、続くソンムの戦いでは、双方合わせて70万以上ともいわれる戦死者を出した。

三国協商・三国同盟と両者の政策

三国協商
1891年のロシア・フランス同盟、1904年のイギリス・フランス協商、1907年のイギリス・ロシア協商によって成立。
大戦では連合国として参戦、三国同盟と対立した。
なお、もともと三国同盟側だったイタリアも後に、ロンドン密約を結び、連合国側で参戦しており、さらにアメリカも、ドイツの商船も標的とした無制限潜水艦作戦に反発し参戦した。
3C政策
アフリカのケープタウンとカイロを鉄道で結び、さらにインドのカルカッタまで繋げるというイギリスの植民地政策
三国同盟
1882年に成立したドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、イタリア王国による秘密軍事同盟。
しかし、領土問題でオーストリアと対立したイタリアが、事実上離脱する。
ドイツの3B政策
バグダッド鉄道の敷設権等を獲得したドイツの西アジア進出政策

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