ヨーロッパが統一されなかった理由

ヨーロッパが統一されなかった理由

巨大な平野がなかった西ヨーロッパ

なぜヨーロッパには統一国家が樹立されなかったのか。
理由は多く上げられるが、まず、大帝国をつくるには巨大な平野が必要であったが、ヨーロッパは山脈と河川が多かったため大帝国には土地が向かなかった。
また、海を越えた隣国であるイギリスが欧州大帝国の樹立を阻んでもいた。
ヨーロッパが統一されなかった理由を簡単にまとめる。

中華帝国は巨大な平野で栄えた

紀元前221年、秦の王が初めて中国を統一して始皇帝となって以来、中国には黄河中下流域に多くの中央集権型の帝国が誕生した。

カロリング帝国〜ほんの一代限りの大帝国

カール大帝が西ヨーロッパの大部分を統一

ヨーロッパにも中国のような大帝国が、なかったわけではない。
西暦800年、フランク王国はイギリスとスペインを除く西ヨーロッパを統一し、国王カールはローマ教皇からローマ皇帝の冠を授けられ、カール大帝と呼ばれたが、それは西ローマ帝国の再興であった(カロリング帝国とも呼ばれる)。

カール大帝没後に帝国は3つに分裂してしまう

しかし、カロリング帝国は一代限りの帝国となった。
カール大帝が死ぬと王国は東フランク王国(ドイツ)、西フランク王国(フランス)、イタリア王国に分裂していった。

西ヨーロッパは、河川や山脈で土地が分断されていた

これはカール大帝の意思で、彼は統一が完了したときから帝国を分割して子孫に与えるつもりだった。
フランク人(カール大帝の属したゲルマン人の一派)に分割相続の伝統があったこともあるが、西ヨーロッパは小さな平野が河川や山脈で分断されている土地だったので、そこを超えての統治は難しかったのだ。
例えばフランスはピレネー、アルプス山脈、大西洋によって囲まれている。

大帝国は巨大な平野でこそ栄える

中国には巨大な平野があった

一方の中国は、黄河という大河の中流から下流に華北平野という大平野があり、そこで大部分の人間が生活を営んでいた。そのため、大帝国が生まれやすかったのだ。
華北平野は中原とも呼ばれていて、ここを制した者が中国全土を支配した。
「中原に鹿を逐う」といえば天下を狙うという意味だ(転じて重要なものを狙う、という意味もある)。
ヨーロッパと中国の違いは、地形から来ていたのだ。

イギリスが欧州大帝国の誕生を阻んだ

大陸の事情に介入し続けたイギリス

統一王朝のできにくいヨーロッパの地形を利用したのがイギリスだった。
1600年以来、イギリスの外交政策の基本は、大陸の勢力均衡させることにあった。
フランスが強い時代にはドイツ(プロイセン)やオーストリアと連携。
ナポレオンの敗北以降、ドイツが台頭してくると今度はフランスと連携してきた。

ヨーロッパ各国は対立を続け、統一とは真逆を向く

こうして、大陸ヨーロッパに統一大帝国が誕生しないように、イギリスは同盟関係を操ってきた。
ヨーロッパでは、統一大帝国の代わりに同盟が政治の主役となったのだ。

帝国の代わりに外交技術が実っていった

イギリスに限らず、ヨーロッパ各国は勢力均衡のために外交術を駆使して複雑な同盟関係を作り出していた。
国家間にはイデオロギーの対立はなく、国益を中心に合従連衡に明け暮れていた。
これがヨーロッパでの大戦争を防いでもいたのだが、ここに、民族主義が登場した。

常に各地の民族が独立を志向

19世紀末にオスマン帝国が弱体化するが、そのためにイスラム教徒の支配に不満を持っていたバルカン半島の住民(主にスラヴ人)は独立を志向するようになった。
ロシア帝国はパン・スラヴ主義を唱えて半島での勢力圏の拡大を図ったが、オーストリア・ハンガリー帝国もパン・ゲルマン主義を掲げて半島に浸透しようとしていた。

帝政ロシアとフィンランド

フィンランドの独立をロシアが阻む

19世紀末は世界的に民族意識が高まった時代で、例えば、音楽の世界でも、民族音楽をモチーフにした曲を作る国民楽派が登場した。
フィンランドの作曲家シベリウスは1899年に『フィンランドは目覚める』(現在は『フィンランディア」として知られる)という小曲を発表した。
当時のフィンランドはロシア領で、独立運動が起きていた。
ロシアはただちに、この曲を演奏禁止にしている。
ロシアはバルカン半島では民族主義をあおったが、自国内では許さなかったのだ。

第一次世界大戦〜大帝国が存在しなかったゆえの大戦

ヨーロッパの火薬庫

大国のエゴと民族運動が結びついて、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるまでになり、1914年、ついに発火した。

帝国不在の欧州で、少数民族の争いが世界大戦を誘発

オーストリア・ハンガリー帝国皇太子がスラヴ系民族主義者に暗殺されたサラエヴォ事件だ。
皇太子を殺されたオーストリア・ハンガリー帝国はバルカン半島のスラヴ人国家セルビア王国に宣戦。
オーストリア・ハンガリー帝国の同盟国だったドイツ帝国も参加した。
セルビア王国の後ろ盾のロシア帝国、ロシア帝国と同盟関係(三国協商)にあったイギリス、フランスも三国同盟諸国と戦争状態に入り、こうして第一次世界大戦となった。
民族問題を発端として、世界は大戦争へと突入していったのである。

EU〜現代のヨーロッパ大帝国

EU(EC)樹立後、欧州から戦争がなくなる

戦後、1967年にEUの始まりといえる「ヨーロッパ共同体(EC)」が樹立されるが、このEU(EC)は経済的には一つの超大国ともいえ、EU(EC)の設立後、ヨーロッパからは戦争が消えた。
やはり「大帝国がなかったゆえに二度の世界大戦が引き起こされた」といえるだろう。


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