大西洋を舞台に三角貿易が成立【16世紀〜19世紀】
大航海時代以降、大西洋を挟んで行われた、ヨーロッパ・アメリカ大陸・アフリカによる三角貿易。
これにより、ポルトガルやイギリス、フランスなどには富がもたらされ、アフリカ社会は大打撃を受ける事になる。
ポルトガルが領有したブラジルでは、16世紀から砂糖の原料となるサトウキビの栽培が盛んになった。
17〜18世紀になると、ヨーロッパで茶やコーヒーが普及し、それにともない砂糖の需要も急増した為、西インド諸島でもサトウキビのプランテーションが次々に開発され、酷使や疫病で激減した先住民に代わる労働力として、アフリカの黒人奴隷が使われた。
18世紀に入ると、イギリスのリヴァプールやフランスのボルドーなどから武器や日用品などがアフリカに輸出され、そこで買い付けられた黒人奴隷がカリブ海やアメリカ大陸に運ばれた。
そして、その代金で購入された砂糖や綿花、煙草などの国際商品がヨーロッパに送られるという、大西洋を舞台とした三角貿易が活発に展開されるようになった。
この三角貿易はイギリスやフランスなどに巨万の富をもたらし、その後の産業革命の資本となった。
一方、サハラ砂漠以南のアフリカでは、ヨーロッパからやって来た奴隷商人や、奴隷貿易を経済的基盤とする黒人王国が行った奴隷狩りによって、成人男子を中心に労働人口が減少し、生産活動の停滞や社会の荒廃を招いた。
西アフリカでは、ポルトガルと結んだ黒人王国が奴隷貿易で栄えた他、東アフリカでも内陸部に成立したブガンダ王国が奴隷貿易を行った。
こうした奴隷貿易は18世紀後半に最盛期を迎え、19世紀まで続いた。
アフリカから奴隷としてアメリカ大陸に運ばれた人の総数は、少なくとも1000万人以上に上ると推定され、アフリカ社会の健全な発展を妨げるとともに、今日もなお続く低開発の状況を生み出す一因となっている。